桜下恋想
□1つ300円した桃
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『風邪をひいて、熱があるから、今夜は会えない』
そんなメールを送って数分後。
『分かった』
と、素っ気ない返信に溜め息をついて、ベットに横になる。
会社も休んでしまった。
熱はまだ高く、動くのも億劫なので病院にも行ってはいない。
行くほどではないが。
久しぶりに会えるから、楽しみにしていたのだ。
だというのに、あんな短い返事だ。
楽しみにしていたのは俺だけなのか。
少し不満になりながらも、熱のせいか、意識はしだいに眠気に沈んだ。
どれだけ寝たのか。
浮上した意識が、微かな違和を感じる。
目は閉じたままに、眩しいのだと気づいて、寝室の電気は消していたはずだと、目を開けた。
寝室の電気は消えているが、ベットサイドのチェストの上に置いているランプが点いている。
そこに居るはずのない人物が、キッチンから持ってきたらしい椅子に座り本を読んでいた。
「……芹沢」
声を掛けると、「起きたか」と本を閉じた。
「何か欲しいものはあるか?」
「え?……喉が渇いた」
質問にそう返すと、待っていろ、と芹沢は寝室を出ていく。
俺は身を起こして、額に貼った冷却シートを剥がす。
熱を吸いすっかり乾いているそれを、チェスト前のゴミ箱に入れながら、何故芹沢が居るのだろうと、ぼんやりと考える。
会えないと、メールしたのに。
考えていると、芹沢が戻って来た。
コップと、皿を手にしている。
「水で良かったか?」
「あぁ、……ありがとう」
差し出されたコップを受け取り、口をつける。
冷えた水は、汗を掻いた体に染みるようで、すぐに全部飲んでしまう。
「これも食べておけ」
空になったコップと交換するように、今度は皿を渡された。
甘い香りのする、白い物体。
小さいフォークが刺さっている。
「これは何だ?」
「桃だ」
答えながら芹沢は、フォークで一切れ刺してぱくりと自分で食べている。
「冷えていて、美味いぞ」
そう言ってフォークを戻すと、先ほどの本を再び手にして、後は俺のほうを見もしない。
俺は、仕方なく桃を食べることにする。
白い果肉は、確かによく冷えていて、仄かな甘味があり美味しい。
そこでふと気付く。
売られている桃の缶詰の桃は黄色い。
ということは、これはわざわざ皮を剥いて切っておいたのだろう。
俺は読書中の芹沢に視線を向ける。
「芹沢」
「何だ?」
「来るとは思わなかった」
「何故だ?会う約束をしていただろう。貴様が風邪を引いていようが、関係ない」
「そうか」
「食べたら寝ろ」
素っ気ない言い種だが、心配しているのが分かってしまって、小さく苦笑が漏れた。
それが気に入らなかったのか。
「風間、」
と低い声が名を呼んで、唇を塞いできた。
口内に入ってきた舌が遠慮なく俺の舌を捕らえ、絡んでくる。
「んっ、……ふ、」
貪るような口付けにすぐに息が苦しくなり、芹沢の肩を叩けば芹沢はすっと唇を離し、俺の頬を撫でながら口端を上げる。
「そんな物欲しそうな顔をするなら、さっさと風邪を治すのだな」
「っ!……馬鹿者!」
俺は皿をチェストの上に置いて、毛布の中に潜り込む。
毛布の上から芹沢の手がぽんぽんと軽く叩いてくる。
なんだ、この子供扱いは。
文句を言おうにも、不思議と心地よくて、俺はまたすぐに眠ってしまった。
翌朝、芹沢の姿は無く、夢だったのかとも思ったが。
「また連絡する」という書き置きと、冷蔵庫の中に一人では多すぎる桃が大量に残されていて、俺は小さく笑いながら芹沢へと電話をかけた。
終
メモ@にてup/2014.08.03
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