桜下恋想記

□花の終わり近く
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とくっとくっと、銚子から猪口に酒を注ぎ、銚子を上げるとゆっくり猪口が持ち上がる。

猪口に口をつけ、直ぐに呑み干した芹沢は俺を見て笑う。

「酒を注ぐ姿が様になってきたな、芙蓉」

からかう口調に、銚子をことりと膳に戻す。
己の酒くらい自分で注げと言いたいが、それはもう何度も言ったと思い出す。
片手で銚子を持てば両手で持てと言われ、ああでもないこうでもないと、散々酒の注ぎ方に注文をつけられ、いまやすっかり慣れてしまった。

俺に女の真似事をさせて、何が楽しいのか。
芹沢の考える事はよく分からない。
分からないが、まだ少し不服なので、ふいっと顔を背ける。
そうすれば、芹沢の手が俺の頤に触れてくる。

「芙蓉、こちらを向け」

言われ、顔を向けると、ふわりと酒の匂い。
重なってきた唇に、抗わず唇を開くと、芹沢の舌が口内に入ってくる。
熱い舌は酒の味がする。
舌を絡めると、それだけで甘い感覚が体に走り脳髄を溶かし、その熱が体を支配していく。

「んっ……」

もっと深く、と芹沢の首に腕を回して引き寄せる。
溢れる唾液は飲み込み切れず、口の端から流れていく。
芹沢の顎の髭が俺の顎に当たるのが、なんだか堪らなく愛しい。

「は……芹沢、」

芹沢の唇が離れ、俺は芹沢を見上げる。
優しい眼差しで俺を見る芹沢は、ふっと微笑む。
あぁ、まただ。
芹沢のその笑みを見ると、何故か酷く胸がざわざわとして落ち着かない。
何かを諦めてしまっているような、悲しい笑み。

こんな笑みを俺に向け始めたのは、何時からだったか。
芹沢は、俺に隠し事がある。
芹沢が話す気になるまで、己からは聞かないと、決めた。
だが、それで良いのだろうか。
このままでは、取り返しのつかない事になってしまうのではないか。

「芹沢」

不安を紛らわせようと名前を呼ぶ。

「なんだ?」

「…接吻だけで、終いなのか?」

芹沢は微かに驚いた様に一瞬目を大きくするが、すっと目を細めて笑う。
その笑みはもう何時もと同じ、意地の悪い笑みだ。

「可愛い事を言う。抱いて欲しいか」

「ん…」

芹沢相手に取り繕っても意味がない。
羞恥心はあるが、俺は甘えるように芹沢に頬を寄せる。
芹沢の武骨な手が頬を撫で滑り、首筋へ降りて襟元から肩へと触れていく。
ただ肌を撫でられているだけで体は期待に震え、体の内側から熱くなる。

芹沢の頭を抱いたまま、俺は背後へ身を傾けていく。
芹沢の腕が腰に回され、ゆっくりと横になった。

「誘うのが、上手くなった」

「貴様が教えたのだろう?」

「さて、どうだったかな」

笑いを含み口付けてくる芹沢に、先程感じた不安を心の隅へと追いやる。
今は、ただ芹沢を感じていたい。

着物の帯を解いて、肌を晒す。
胸の突起を弄られて、はしたない声が上がる。
芹沢がそこを感じる箇所にしてしまった。

芹沢に抱かれて、女のような声を上げ、悦ぶ体に、俺は時折ぞっとする。
俺はこの先、女子を抱けないのではないか。
それでも、良いのかもしれない。
鬼の子孫を残すという頭領としての義務は確かにあるが、人の手の届かぬ場所はどんどん減るばかりだ。
鬼は生きづらくなっていくだろう。
ならば、少ない一族の者達を護る事に尽力すれば良い。

俺は、この男が傍らに居れば良い。


体の奥に芹沢の熱を感じながら、俺はそう決めたのだった。







数日後、俺はぼんやりと島原の座敷で酒を呑んでいた。
薩摩の者との会合だ。
話し合いとは名ばかりの、下っ端共の下らない不平不満の言い合いに飽いて、一人離れて、芹沢の事を考えていた。

最近、気がつくと芹沢の事ばかりが頭を巡る。
相当に、芹沢に参っているらしい自身に、微かに驚く。

『恋に落ちる』という表現はよく聞くが、俺の場合、『心を奪われている』のだろう。
恋とは恐ろしいものだ。

そんな事を思っていると、隣の座敷から激しい物音が聞こえた。
ついで、喚く男の声。
その声は、聞き慣れた声に似ていて、俺は耳を澄ませる。

酷く激昂した男を、宥めようとする声が名前を呼ぶ。
芹沢さん、と。

ざわっと胸が騒ぐ。
確かに、芹沢の声に似ている。
だが、様子がおかしい。
連れの者を忘れているような言葉。

俺の前でも一度として、あんな風に声を荒げたりしない。
まるで、人が変わった様な…。

そこまで考えて、思い至ったのは、ある病の事だ。

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