恋紅酩酊記

□幼き遊戯
1ページ/2ページ



西の鬼一族、風間家。
その次期頭領、風間千景。
齢十になったばかりの彼は、父親に連れられ薩摩潘邸を訪れた。

広い屋敷に、それまで鬼の里を離れた事のない千景は目新しさに辺りをキョロキョロと見回す。

風間家を匿っている薩摩の藩主への挨拶の為に来ていた。

千景はそっと手を引く父を見上げる。

父様は何故か機嫌が悪い、と心配そうに父を見上げる千景に気付いたのか、父・千里は千景に笑みを向ける。

「千景、どうかしたかい?」

「いいえ……藩主様は、どうして俺を呼んだんですか?」

「いずれはお前が頭領だからね、挨拶をしたいという事だが……」

そこで父は何かを憂いているのか表情を曇らせる。
不意に足を止め、千景と視線を合わせる為にしゃがみこむ。

「千景、お前は私の様に間違えてはいけないよ」

穏やかに笑みを浮かべ言う父に、千景は首を傾げる。
千景にとって父は偉大である。
鬼の一族の上に立ち、導き護っている。
一族の者皆から慕われ、敬われている。
そんな父が何を間違うというのか、千景には分からなかった。

「父様でも間違う事があるのですか?」

素直に思ったままを口にすれば、父は優しく千景の頭を撫でた。

「父様とて間違う事はある。そして、たった一度の間違いがどうしようもない事態を引き起こす事もある……」

父はそこで言葉を切り、千景に微笑みかけ、だからお前は間違えてはいけないよ、と再び言った。


父に手を引かれ、千景は広い座敷へと入った。
畳三枚程離れたところに、肘置きに身を傾けた男と対面し、千景は俄に緊張する。

これが薩摩の藩主。

歳は五十くらいであろうか。
髪はほとんど白く歳相応に見えるが、肌はいまだ張りがあり、てらてらと脂が乗っていて、口元に浮かべた笑みは何処か汚らわしいものを感じる。

「久方ぶりだな、風間千里」

「一月前にもお会いしたでしょう」

「もっと此処へ来いと言っているだろう」

「私は里を護る立場にあります、あまり里を空けられません。ご容赦下さい」

「まぁ良い……それがお前の息子か」

視線を向けられた千景は、慌てて頭を下げる。

「えと、お初お目にかかります、風間千景と申します」

覚えたての挨拶の言葉を口にし、顔を上げれば己に向く視線が先とは異質な物へと変わっているのに千景は気付く。

言葉を間違えてしまっただろうか、心許なく千景は父を見上げるが、父もまた纏う空気を変えている。
常に柔らかい気を纏う父が、いまや肌に刺さるような殺気めいたものを放って目前の男を睨み据えている事に、千景は困惑を隠せない。

「愛らしい息子だな、幾つになる」

「十になります」

「ほう、十でその色香ならば、先が楽しみだな」

好色そうな笑みを浮かべるが、いまだ幼い千景にその笑みの真意は伝わらない。
だが本能的な嫌悪感に千景は傍らの父の服を掴む。

「もし、」

ゆっくりと父が口を開くのを、千景は落ち着かない気分で見る。

「貴方の手が千景に触れるような事があれば、私も黙ってはいられませんよ?」

警告を口にする父に、千景は益々混乱する。
常に穏やかで争いを好まない父が、あからさまに殺気を放っている。しかも、相手は藩主だ。
しかし、藩主は堪えていないように笑う。

「まぁ良い。千里、お主は俺と来い。息子のほうは屋敷内で遊ばせておけ、おいお前見ておいてやれ」

近くに居た側付きの者にそう言い残して、藩主は早々に部屋を出て行く。
ふっと父から力が抜けるのを感じ、千景も安心したように息をつく。

「千景、私は呼ばれたので行かねばならない。お前はここで大人しく待ってなさい。……何か嫌な事があれば、大声で父様を呼びなさい、良いね?」

「父様……藩主様に叱られたりしない?」

「私がかい?大丈夫だよ」

父は幼い子を安心させるように笑み、その小さい頭を撫でると腰を上げた。
千景は置いていかれる事に少し不安になりながらも、父を困らせてはいけないと、その背を見送った。

千景と側付きの者だけになると、側付きは千景に近寄る。

「さぁ、坊っちゃん、この部屋は遊ぶものが何もないので、他の部屋へ行きましょうか」

「でも、父様は此処で待つようにと」

「大丈夫ですよ、多分、父君は夜まで戻らないと思いますし、今日はご子息を連れて来るとお聞きして、色々菓子を取り寄せているのです。向こうでお食べになりませんか」

そう手を差し伸べてくる男に、千景は戸惑いながら手を取った。
いまだ遊びたい盛りの子供にとって、ただ待つだけなのは退屈で、この広い屋敷を見て回りたいという好奇心や菓子に興味を惹かれたとて致し方ないだろう。


千景が男に連れられ別室へと入ると、そこには既に数人の男達が居た。
藩に仕える者の詰所のような部屋らしい。

花札なんぞに興じていた男達は、現れた千景に興味の視線を投げる。

「なんだ、この子は」

「ほら、例の鬼の頭領さんの子だよ」

「あぁ、あの」

男達の間で意味深な視線が交わされるなか、おずおずと部屋に入る千景に好奇の視線が集まり、千景はそれに益々居たたまれなく感じる。
里の大人の男鬼とは違う、里の者達は皆千景に優しい笑みを向けてくる(勉学の時は別だが)。
此処の者達も一見優しげな笑みを浮かべてはいるが、根本的に何かが違う。
そう悟り、居心地の悪さを感じる千景に、男の一人が手招きする。

「おいで、坊主、菓子をやろう」

「茶を飲むと良い」

何処か張り詰めていた雰囲気がほどけ、和やかになった事に千景はそっと手招きした男の方に寄る。

途端、グイッと手を掴まれ、男の胡座を掻いた足の上に座らされる。

「わっ……!あ、あの」

「やぁ、ちっさいな坊主、おまけに軽い」

「幾つなんだ?」

「それにしても、まるで女子のように可愛らしいな」

「ゆくゆくはあの親父さんみてぇに綺麗になるんだろうな」

わいわいと取り囲み、問いを投げたり、見目の印象を次々に口にする者達に、千景の緊張もいくらか解れる。
他の里へと赴いた時の空気と似ているからだ。

渡された程よく温くなった茶を飲み、千景はほうっと息をつく。

「父様は、藩主様と何をしているのですか?」

気が弛み、つい、口にする。
去り際の父はなかなかに剣呑な雰囲気であった。
心配で口にした疑問に、男達は顔を見合わせる。

「知らねぇのか……まぁ、てめぇの子に言うわけねぇな」

「心配することねぇよ、気持ち良い事だからなぁ」

「気持ち良い事?」

「気になるか?」

首を傾げる千景に、男の一人が聞くと、千景は迷った末に頷く。

.
次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ