桜下恋想記
□茜色に染まった
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夕刻前、己のものと宛がわれた部屋で文机に向かっていると、襖の向こうから声がかけられる。
「斎藤、居るか?」
返事をする前に、スッと襖が開けられ、差し込んできた陽光に一瞬目が眩む。
「ああ、悪い」
それをすぐに悟ったのか、襖はすぐに閉められる。
「大丈夫です。それより副長、用が有るのでしたら、呼んでくれれば」
「あぁ、違うんだ」
言いかけた言葉を遮り、土方さんは腰を下ろすと、決まり悪そうに視線を逸らす。
「用といえば用なんだが…」
この人にしては珍しく歯切れが悪い。
何か、良くない知らせなのだろうか。
そう思っていると。
「いやな、お前、今日はもう仕事の手を止めて、出来れば千鶴の相手してやってくれねぇか」
「は?」
思ってもみなかった事を言われ、間の抜けた返事をしてしまう。
「新八や佐之が出て行って、あいつも結構落ち込んでるからな。けど俺は、励ましてやれそうな言葉とか、あまり知らねぇからな。お前に頼んで良いか」
確かに、ここ最近の千鶴は元気がない。
誰かと一緒の時は笑顔でいるのだが、一人になると、その表情はふと曇ってしまう。
一人、憂い顔で佇む千鶴を何度目にしたことか。
恐らく土方さんも、そんな千鶴を見ているのだろう。
だが。
「すいませんが、副長。俺も千鶴を元気づけられる言葉を知っているわけではないのですが」
千鶴を元気づけたい気持ちは有るが、どんな言葉を掛けてやれば良いというのだ。
それに、己は口下手な方だと、自覚がある。
真剣な口調で返せば、土方さんは、ますます決まり悪そうにし、「そうくるか」と呟いた。
「悪いな斎藤、今のは嘘だ」
「…嘘、ですか?…副長、そんな嘘をつく理由が見当つかないのですが?」
「千鶴に、少しはお前を休ませろって、泣きつかれたんだよ」
「千鶴が?」
「そうだよ。羅刹になって昼間起きてるのは辛い筈なのに、昼も夜も働きっぱなしで、いつ休んでるか分からないって。
休んで欲しいけど、自分が言っても聞いてくれないから、俺から言って一日だけでも休ませてあげて下さいって」
その時のことを思い出したのか、土方さんは苦笑を漏らす。
「ったく、あいつは本当に肝の据わった女だよ。俺に怒られるんじゃねぇかって、ビクビクしてるくせに、えらい必死に言ってくるもんだから、約束しちまったんだよ」
「約束、ですか」
「おう。何がなんでも、一日だけでも、お前に仕事をさせないってな」
「副長…」
そんな約束をする土方さんにも驚いたが、千鶴がそんなにも己の身を案じているのだと聞いて、複雑な心境になる。
心配をさせてすまない、という気持ちと。
それ程まで、己のことを考えてくれていたのかと、なぜか嬉しく思う気持ちと。
「だからな、斎藤。俺を、約束を破るような男にさせてくれるなよ。まぁ、俺も、お前には無理をさせていると、思ってはいたんだが」
「そんなことは…」
「それと、さっきの話しだがな…お前がちゃんと休んでるところを見たら、千鶴も元気になるんじゃねぇか?」
「それは」
「余計な世話かもしれねぇが、あまりあいつを泣かすなよ」
フッと視線を逸らし、土方さんは早口で言う。
「…気をつけます」
「良し。じゃあさっさと、千鶴の相手してこい。さっき、俺の部屋近くの縁側で何かしてたからまだ居るだろ、多分」
「ありがとうございます」
一度頭を下げると、土方さんは苦笑して「お前の為じゃねぇよ」と、手を振る。