桜下恋想

□チョコレートキス
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*SSL



2月12日、某チョコレート専門店にて。

目前に控えたバレンタインに、女性で溢れる店内は賑やかではあったが、異様な空気が流れていた。
その店は、勿論バレンタイン用に既に包装された物も置いてはいるが、種類の豊富さが売りの店なので、客が好みでチョコを選べる様にバラ売りもしていて、その為のケースがある。
ズラリと一面にチョコが並んでいる様は、チョコ好きには堪らないだろう。

そのケースの前に、もう一時間ばかり、一人の男性が立っている。
腕を組み、仁王立ちで、親の敵とでもいわんばかりの目で、並ぶチョコを睨み付けていた。

女性客ばかりの店内に、一人だけ男性客。
それだけでも目立つのに、そのようにチョコを睨んでいるので、妙な威圧感があり、他の客はケースに近寄るのを躊躇っている。
ケースの向こうには店員がいて、困った様子でこの男性客を伺っていた。
声をかけるべきか、否か。

不意に男は組んでいた腕を下ろし、ケースから店員へと視線を向けた。

「おい」

低い声が、静かに発せられた。
大きな声ではなかったが、その一声の重々しさに店員は背筋を伸ばし男性の前に駆け寄る。

「はい!お決まりですか?」

「いや……」

明るい店員の声に、男性は苦々しく言い、一度躊躇う素振りを見せるが、溜め息を吐くと言葉を続けた。

「俺は普段チョコを食べないから、味の想像がつかんのだ…、お薦めなどはあるか?」

「お薦め…、こちらは贈り物用にご購入ですよね?」

「あぁ、そうだ」

「一応当店のお薦めは、こちらの名前に星マークをつけているものになりますが、贈り物でしたら、……お贈りする相手の好みの味などをもし知っていらっしゃいましたら、教えて頂けますか?」

お薦めの商品が必ずしも口に合うとは限らない、店員は必死に男性客から相手の情報を得ようとする。
男性客は眉を寄せ、考えるように顎に手をやる。

「あいつは…食べ物の好き嫌いが特にないからな」

「そうですか…」

「…では、日本酒に合うものはあるか?俺もあいつも、日本酒を好んで飲むからな。酒の肴にチョコというのも、おかしいかもしれぬが」

「いえ!そんなことはありません!日本酒に合うチョコでしたら、…お待ち下さい」

店員はいきいきと小さな皿にチョコを選び乗せていく。

「こちらの4種類でしたら、合うかと。ご試食されてみますか?」

「そうだな、これの分も代金は払う。試食させて貰う」

皿の上のチョコを一粒取ると、パクリと口に入れる。
眉を寄せたまま、食べている間の沈黙に店員はハラハラと男性を見つめ。

「……チョコの良し悪しは分からんが、美味いな」

「ありがとうございます!」

ゆっくり言った男性に、店員はホッと胸を撫で下ろし、頭を下げた。
それから、男性はいくつか試食をした後、10粒程箱に詰めて貰い、会計を済ませた。

「あいつが気に入れば、また買いに来る」

そう言い残して店を出ていく男性に、店員達は緊張を解いた。






同日、風間家。
広いキッチン内で。

「天霧、よく来たな。貴様を呼んだのは、他でもない、菓子作りの為だ」

割烹着を着た風間という、見慣れないものを目にし微かに動揺しながらも、天霧は『そうでしょうとも』と声に出さず相槌を打つ。
朝早く電話で起こされ、所持している菓子作りの本を持参して来いと、呼び出されたのだ。

「バレンタインですか」

時期が時期だけにそれしか考えられない。
風間はさっと頬を赤くして、小さく頷く。

「その…バレンタインに芹沢に何かを贈るのは、初めて故、手作りが良いかと…」

ゴニョゴニョと語尾を濁す風間に、天霧は微笑ましく思うが、意外でもあった。

「初めてなんですか?」

誕生日やクリスマスと、イベント事が好きな風間である。
その風間がバレンタインを今までスルーしていた事が、意外だ。

「バレンタインは、女のイベントという意識があったからな。だが最近は友チョコや逆チョコという物もあるらしいし、男同士でも、渡してみるのも良いか、と…」

照れてやや俯きがち言う風間に、天霧は頷く。
初めて渡すもの、となるとこれは教える方も責任重大である。

「分かりました。作るのは、チョコで良いのですか?」

天霧が問うと、風間は少し考えるように腕を組み、数秒後首を振る。

「いや、あいつは普段チョコを食べないからな。あまり好まんのだろう。日保ちする焼き菓子などが良いかもしれん」

答えた風間に天霧は頷き、持ってきた鞄から本を取り出す。

「とりあえず、何を作るか、から決めましょうか」

今日は夜まで解放されないだろうと、天霧は覚悟した。

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