Story
□言えばいいのに
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まずい。
非常にまずい。
これは危機だ。
何を俺が冷や汗流して焦っているかというと、だが。
それを説明するにはまず言い訳を先にせねばならない。
人の日記を盗み読むなんてことが、最低な行為だっていうのは俺だって分かるさ。
でもな、わざとじゃ無いんだ。
彼女の部屋で彼女が席を外した時に、暇なんでテーブルの下にあった手帳を何気無く開いてみたら、それがたまたま日記だったわけで。
いや、手帳を勝手に見ること自体駄目なことだっていうのも分かる。
でも俺はその時、少しも悪気は無かったんだ。
暇だったものだから、自然の流れで手にとって開いただけで。
手帳なんか持ったことの無い俺は、ウィークリーの予定欄に日記を書いたりする使い方なんて知らなくてだな。
問題の日記の内容も、本当にたまたま目に入ってしまっただけなんだ。
もう一度、言う。
悪気は無かったんだ。
探ってやろうというやましさはこれっぽっちも無かった。
彼女−−−−遥が、浮気してるなんて疑ったことも無い。
遥はロックもかけていない携帯電話を、簡単に俺に預けるような奴だ。
だからこそ、なんの悪気もなくその手帳を俺は開いたんだ。
…………さて、言い訳はここらへんにしておこうか。
言い訳をしたところで、俺のしたことが許されるわけでは無いからな。
問題は、俺がたまたま読んでしまった日記の内容だ。
一週間前の日記だった。
『ずっと我慢してきたけど、もう無理かもしれない
言いたいけど、言えないし
やっぱり私達、合ってないのかな
別れたいなんて、それこそ言えないけど』
−−−−な。 大問題だろう。
全身の血の気が引く思いだった。
反射的に手帳を閉じて元あった場所に戻し、慌ててテレビを点けた。
日記を読んでしまったことを遥に悟られないようにと、焦る自分がいた。
俺はその時やっと、自分がやってはいけないことをしてしまったことに気付いたんだ。
テレビではお笑い番組が流れていたけれど、観客に大ウケしている若手芸人のネタも、今の俺には笑えるはずもなく。
頭の中では、さっき読んでしまった日記の内容がグルグルと回っていた。
グルグルと回ってバラバラになって、文章は言葉となり、言葉は文字となり、それらは意味の無い文字の羅列になる。
受け入れがたい見てしまったものを忘れようと、頭が勝手に記憶をミキサーにかけているみたいだった。
けれどそんな現実逃避による記憶の分解も、遥が部屋に戻ってきた途端に目まぐるしい早さで再構成されてしまう。
「あ、その番組、今日だっけ。 ラッキー、今週は観れた。」
飲み物を手に、遥はキッチンから戻ってきてそう言った。
遥はテレビが好きなわりに、好きな番組がいつやっているかを覚えようとしない。
いつも見逃しては凹んでいるくせに、番組表もチェックしないし、録画もしない。
変な奴だ。
って、今はそんなことはどうでもいい。
俺の脇には嫌な汗が滲んでいる。
うわ、これ絶対臭くなる。
いや、だから今はそんなことどうでもいいんだって。
「サト君、この芸人嫌いなんだっけ。」
「え。」
テレビに意識を合わせれば、確かに今ネタをやっている芸人は俺が嫌いなコンビだった。
勢いで笑いをとろうとする浅はかな笑いは嫌いなんだ。
俺はまだ動揺し続けたままだったが、普通を装う為にもいつも通りの悪態を吐いてみせた。
「マジでつまんね。 さっさと消えちまえばいいのに。」
俺がそう言うと、遥は『まあ確かに面白くないけど』と笑い、飲み物をテーブルに置いて俺の隣に座る。
その態度は至って普通だ。
その普通さは、俺を余計混乱させる。
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