◇ジロ跡text【2】◇

□跡部B.D.企画TEXT2006no.6
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「イイ匂い、する」


酷く不恰好な形で倒れた後。

そんな慈郎を尻目に、跡部は何事も無かったかの様に再び小説へと目を落としていた。
「ココさぁ付けてる、」
跡部はソファーへ体を沈ませて、読書を愉しんでいるのだ。
深く背を預け、軽く脚を組み片腕はソファーの背凭れにゆったりと乗せている。
そこへ慈郎が突進してきたのだけれど―基、半眠りの界隈から抜け出た一歩、足元が覚束無い儘に倒れ込んで来た訳だ。慈郎にとっても不可抗力。
イタタ、と鼻を摩り顔を上げれば丁度真正面には跡部の伸ばされた腕があり、その頃には倒れ込んだ事へ配慮に富んだ言葉が掛けられたのを受けて相槌を打つ。
次いで慈郎の傍の腕が、僅かに下りて来て慰める様にさらりと頭を撫で上げた後、ソファーの一等高い位置へと戻って行った。
「‥でしょ?」
腕が動いた、その僅かな動作でも仄かな香りが漂うから、慈郎は率直に状況を表したのだ。
爽やかで、酷く落ち着く香りだった。

「いつも付けてンのと違うよね」
「、だな」
本に集中をしている跡部の返事は薄い。
それでも毎度、聞いていない訳では無い事がわかる程度に態度で示すのだ。
実際のところ理解もしている。慈郎だって、わかってる。
慈郎が閑さえ見付ければ居眠りに興じるのと同じく、本を開くのは跡部にとって極自然な事である。
突然の雨を凌ぎ雨水と汗とをシャワーで流した午後。
先に上がった慈郎が、早速床に転がっているのを傍目に読書の時間に身を任せていた延長だった。

いまだ不恰好に倒れ込んでいる慈郎の目の前には程良く筋肉の付いた腕の内側がある。薄手で細かいストライプが入ったシャツを着て、肘の辺りまで捲っている跡部の腕。
元々肌の白い跡部ではあるが、滅多に陽に晒される事の無き内側は、抜ける様な白色をしていた。そして風呂上がりの為か、余計に血脈のうねりがハッキリと見て取れた。
慈郎は指先で、肘の内側から手首迄の筋を辿ってみる。
さり気無く、溜め息としか取れない吐息が聴こえたが、腕は引っ込められなかった為もう一度辿ってみようと腕を掴むとそれだけで動く空気。

ふわり

「待って待って、こっちにも付けてるでしょ」
掴んだ先、その儘自分に近付けた。
腕の内側同様に、手首からも香りの元が感じられたのだ。
「Eー匂い!ココもかな」
ソファーの軋む音。
慈郎は背凭れに片手を付いて這い上がり、跡部のうなじの辺りに迄顔を近付けた。
跡部が香水を付ける時の仕草をおぼろげにでも浮かべると、腕の内側 両手首、そしてうなじの傍へと辿ってゆく。そんな仕草を何時だったか、何処かで見た事があったから。
その儘、吸い寄せられたかの様に唇を触れさせれば、馨り立つ香。
肌の温かさが、余計に香りを引き立てていた。
「‥ジロー、」
軽く触れさせている内は何も云わないが、しかし、数度目の触れ合わせ。少しだけ力を籠めて吸うと途端に静止が掛かる。
「んー」
それでも香りも温もりも、そう簡単には止められる筈も無い。
跡部はいよいよ本ばかりに視線を送ってはいられない。
「ジロー、それは止めろ」
そう、云うや否や、直ぐ真横にある慈郎の頭を両手で引き寄せて一度、唇を合わせた。
遠くで、本が軽い音を立てて閉じられた音の余韻がある内に合わさった唇は、慈郎の驚いた様子だとか体勢を正そうとする微細な動きだとかを如実に伝える。
「ふはっ、‥あ、あれ、サプライズー‥ギフト?」
目許に紅が散った慈郎が笑う。
「別に」
跡を付けられては困るのだ。
もう間も無くすれば、ひとり、出掛けなければならないのだから。
「もちょっとで、付くトコだったのにぃ」
慈郎は、口付けの合間に知らず掴んでいた肩から、腕を伝い掌を下ろしてゆく。
糊の効いたシャツの感触。触れた肘の辺りへ再び顔を落とした。
ちゅうっ
「ッ、…何が、したいんだお前はー」
まるで注射をされている患者の様に、捲くったシャツにピンと伸びた腕。
うすらと患部、ならぬ感部を見遣る跡部の仕草。
「わっかんね」
もう一度寄せてみた。
「つーかイイ匂いがさあ、するから」
「ジロー」
「ん、?」
顎で示された先を見れば小さなガラス張りのテーブル。
ああ香水ね、と合点がいった表情で、テーブルの上に乗っている小瓶を手に取れば、もう良いだろうと腕を引く。
まだだからと去り掛けた腕を引き戻せば、今度ばかりは明から様な溜め息が辺りに響き渡った。
けれど、結局は慈郎の好きにさせるのだ、跡部は。
程度が過ぎなければとの前提はあるが、慈郎の動きがたとい挙動不審だろうが普遍的だろうが、好きにしろよと笑っていられる許与はある。
逃げぬ様にとしっかり絡めたその儘に、慈郎は小瓶の蓋を開けた。
「…ふーん‥、」
「どうだよ」
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