◇ジロ跡text【2】◇

□ことばあそび
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「あとべー‥ねむい、」

第一声がコレだ。
勝手気儘に思い付きメールを寄越したのだろう。
霜月初日の夕暮れ。慈郎からのメールの意を介した跡部が、了承の返信を送れば数十分後には慈郎の御到着だ。
「あー待って、マジねむい‥」
見るからして眠そうな表情仕草を全身で物語る様子に跡部は、特に如何するでもなく、出迎えたエントランス・ホール。踵を返して再び部屋へと向かったのだ。
それじゃあこれから眠れよ、だとか眠っても良いか、だとか。
そんな言葉は交わさない。
「涼しいもんな」
大きな窓へと目線を遣れば、傾き、力の限りで光る太陽から放たれる陽射しが、その元で生きる総てを照らしていた。
少なからずこの室内に措いては、道等開いてはいない筈なのに、記憶の再現然り。
照らされている箇所やそこ彼処を見詰めるだけで慈郎の辿った夕陽の路の匂いさえするのだ。
「そぉーなの。歩いてたらねむくなって‥きてね、」
ふわぁ。
一旦区切った合間に欠伸が漏れた。
麗らかな刻、間も無く十八時。
酉正の刻に進む影は緩やかに、只、進んでゆく。
「そんで、あとべン顔見たらすげえねむいのがきてさぁ‥」
「…人の所為かよ」
跡部はわざわざ聴こえる様に鼻で笑うと付け加えた。
「何もしなくても眠くなるだろうがお前は」
「‥んー…」
その後慈郎は、笑いとも欠伸とも取れる空気を吐き出した。
「でもねやっぱ感じチガウから」
何が違うものか、口を突いて訊ねたくもなるが、跡部は慈郎の旋律に任せて仰げば、丸い、小さな光が白く黄色く青くも見える。
窓硝子を越えた先、遥か遠くに点在する淡い光は道標(みちしるべ)。
篝火の様なそれは、どれを取っても大きさは異なるだろうに、こう遠くては混ぜこぜだ。同じ場所同じ大きさの光が陳列している様に見えてしまう。
外とは違い、跡部の部屋はいまだこれといった灯りを点けてはいなかった。夕暮れから点いている、小さなランプが一つ切り。
それが却って、跡部の意識を外へと向けた要因となる。
ふ、と空気が動いた気配を感じた次には慈郎に、シャツの袖口を引かれた感触が。ソファーに座る慈郎が丁度掴み易かったのが、隣に座り、組んだ脚その上に軽く置いた跡部の右腕だった為だ。
跡部は一度軽めに空気を吐き出すと、脚を組み替えて慈郎の方を向いた。
聞く態度を洋々に示されて慈郎の表情(かお)に知らず微笑みが咲く。
幾らか眠気は覚めた様な口振りで、数分前の続きが紡がれた。
「この頃は、あとべの傍じゃねぇとねむくなれなくて、ね‥」
「それは良い事じゃねえか」
「……あれ?」
慈郎にしては、想定外の応えだったのだろう。
然(さ)も可笑しそうに笑う跡部に、笑いながら眉根を寄せている。
「部活も授業もサボらなくなる」
傍に居るなら叩き起こすのみだ。
跡部は慈郎を起こす事に関してもピカイチの力量を有していると自負をしている。
只、今は起こす為の明確な理由は持ち合わせてはいないだけで。
「あー、うん、ちょっとした冗談でした?」
払い切れない眠気が迫る結果、授業なり部活なりに出れない事が多いだけで、決して本意としてサボっている訳では無い事くらい重々承知。
しかし、そういった云々よりも今は慈郎を茶化す科白(せりふ)を。
「起こされるの好きなんだろ?」
散々眠たがる慈郎ではあるが、寝起きは割りと良い方だ。
誰が呼んでも、それなりの愛嬌で起き上がる。
慈郎は、自らの後頭部の辺りで組んでいた手を解いて、預けていた背を正した。
「あとべに起こされンのすき」
「ああ、光栄に思え」
当たり前だろうが。
「だって、ぜってえ笑ってるもんね、その時のあとべ」
何処か、幸福そうな声が聞こえてきた為、不敵な笑みを湛えていた所待たず、慈郎の次の言葉で眉にも力を入れた。
「‥笑…」
ってねーよ。
そう云いたかったのだが先ず考える。
如何思い還しても、何処を思い還しても、「絶対」は有り得ないだろう。
部活の時等、まだ目蓋を開け切っていない内から引っ掴んでコートへ送り込んだ覚えすらある。その時の表情や、如何に。
「嘘だとおもう?」
暮れは進み、益々影を色濃く縁取っている室内で、窓枠だとか白レースのカーテンだとかのシルエットが月明かりに射されて描かれる床。
薄緑のラグマットの色は、完全に判別の付かぬ色となる。
「オレのゆうことは九十九%はホントだよ」
続けた慈郎は、改めて跡部の裾を掴んでみた。
「まあ、残り一%の可能性も残ってるって事だよな」
「‥しまった」
又、予想外だとでも言いた気な様子の慈郎に、跡部は笑う。
喩え、今し方の慈郎の言葉が嘘で無いにしても一%に賭けたい心境だった。部屋が仄暗くて救われた気分さえ感じている。
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