★伊達政宗
1567(永禄10)〜1636(寛永13)
「独眼竜政宗として有名な奥州の武勇・才略に長けた大名」

:名前について
仙台藩祖(伊達家9代目政宗と区別するため 正宗 と表記される事がある)
政宗の名は 「9代目大膳太夫政宗」に因みつけられた伊達家では縁起のある名前。『9代目伊達政宗』は、伊達家中興の祖であり、奥州を統べる武力だけでなく、風雅に通じ、歌において時の将軍義満にも深く愛された人物。
:目線
伊達政宗は織田信長と似て海外に目を向けた武将であり、独自にスペイン交易船をだしローマ法王に拝謁を請うている。(支倉常長が派遣されている。その時の壁画は教会に飾ってあります!)

:容姿
堀が深く目鼻立ちもハッキリした比較的現代的な顔立ちであった。面長気味。身長は160弱。当時は長身の部類で、馬に乗った姿は精悍。銅像も精悍。

:
没日|寛永13年5月24日
旧暦1636年6月27日
:死没地は江戸・武蔵
:死因は病死
墓所は仙台の瑞鳳殿。参拝者は多く人気の高さが伺える。
瑞巌寺には伊達政宗ゆかりの品が多々あり、伊達政宗兜像は漆黒の五枚胴に金色の弦月は見惚れるものがある。
左隣りには正室愛姫(めご)の尼像。眉目秀麗で名高く、温かな美しさがある。右隣りには正室最初の子、五郎八(いろは)の尼像。この親子は大変美しい。

データ
通称:藤次郎
諡号:貞山
神号:武振彦命
戒名:瑞巌寺殿貞山禅利大居士
墓所:瑞鳳殿、青葉神社
(護国神社ではないので、戦国BASARAの腐的な絵馬は飾らない様に。青葉神社にも絶対駄目です。)
官位:従五位下美作守、左京大夫、侍従
越前守、従四位下右近衛権少将
陸奥守
正四位下参議、従三位権中納言、贈従二位

主君:豊臣秀吉→徳川家康→秀忠
:陸奥国仙台藩主
氏族:伊達氏

(父母)父:伊達輝宗
母:最上義光の妹・義姫
(兄弟)
小次郎(政道)、秀雄、千子姫
()
正室:愛姫
1568(永禄11)〜1653(承応2)
死没地|江戸武蔵
院号|陽徳院

側室:新造の方、飯坂の局(松森御前/猫御前)
塙直之女、阿山方、弘子姫
香の前(お種)
勝女姫、妙伴、朝鮮人女子某

()秀宗、忠宗、宗清、宗泰、宗綱
宗信、宗高、竹松丸、宗実、宗勝、亘理宗根
五郎八姫、牟宇姫、岑姫、千菊姫、津多




母と政宗
様々な因縁があった両者ですが、晩年の母と政宗の関係は良好に見える。伊達政宗の母義姫とは親愛で結ばれているようです。
朝鮮出兵時の手紙からそれは伝わってきます。この仲の良さをみると弟政道(伊達小次郎政道)との共謀で政宗を毒殺しようとしたのが嘘に見えてくる気が…。小田原への遅参に、母弟が一芝居打ってくれたのではという説もある。





政宗様…!


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