遙か夢参
□筒井筒
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煌々とした月が暗闇を暴き立てる。
忍んでいくには躊躇う日だと思いつつ、私はその屋敷の前で足を止めた。
確かに、琴の音色が響いてくる。
「上手いな」
朝廷で様々な腕前の音色を聴いている自分にとっても、なかなかな腕前とわかって弾いている人物にますます興味がわいた。
そっと庭を横切り御簾の向こうの影につと目を細める。
小柄な姫だ。
年のころは聞いていなかったが……いくつなのだろうか。
わざと足音をさせながらその御簾に手をかけると、琴の音が止まった。
息をひそめこちらの動向を窺がうその姫の様子に唇が弧を描く。
姫君たちがとろけるという笑みを浮かべ、私は御簾の向こうに身を滑り込ませた。
「・・・・・・月の光りの中聞こえてきた琴の音に導かれやって参りました。さぁ、どうか私にそのかぐや姫の顔(かんばせ)を見せてはくれまいか?」
優しく柔らかく強引に、着物の袖で顔を隠したその娘に近づくと・・・・・・その姫が驚いたように声をあげた。
「友雅、お兄様・・・・・・?」
鈴の音を転がしたような可愛らしい声とその呼び方に一瞬思考が停止した。
―――――まさか。
「名無しさん、かい?」
まさか、という思いで呼んだその名前に目の前の娘は着物の袖を降ろして嬉しそうに微笑んだ。
「お久しゅうございます、友雅お兄様」
花開くようなその笑顔に、昔の面影が重なった。
「君は・・・・・・なぜ」
「つい先ごろ、京に戻って参ったのです。私も、もう16ですので」
「それは・・・・・・」
あまりのことに言葉を失う私と違って、彼女は前とは打って変わって美しく変化を遂げたその顔でころころと笑った。
「友雅お兄様ももう21になるのでしょう? ・・・・・・よかった、私、友雅お兄様にもう一度会えたらって……そう思って京に戻ってきたんです」
その大きな目に自分の姿が映る。
月の光りを浴びた彼女の姿は、さながら天女のようで。
胸の奥を突き上げた熱い衝動に苦しさを覚えて、でもそれ以上に目の前の年頃の娘を愛おしいと思ってしまった。
色鮮やかに、昔の感情が舞い戻る。
『友雅お兄様! 名無しさん、いつか友雅お兄様の奥方様になりたいのですっ』
『私の? もちろん、いいとも。大歓迎だよ』
『ほんとう!?』
『うん。だって君は私のかわいいかわいい・・・・・・』
「・・・・・・私のかわいい、かぐや姫」
私がぽつりと零したその言葉に、名無しさんは少し目を見開いて・・・・・・それから頬を赤く染めた。
「友雅お兄様、覚えて・・・・・・」
「昔の約束は、まだ有効かい?」
急くようにその白魚の手を掴んで膝を詰めると彼女は恥ずかしそうに視線を逸らした。
「・・・・・・言ったでしょう? 私は友雅お兄様に会いたかったって……」
「美しくなったね」
「友雅お兄様こそ・・・・・・素敵な殿方になりました」
くすぐるように唇を顔のいたるところに触れさせると名無しさんはくすくすと身じろぎをした。
その小柄な体をそっと褥の上に押し倒すと艶やかな黒髪が扇のように広がった。
その髪の長さも離れていた年月を感じさせて。
「名無しさん…」
名前を呼ぶと、彼女は受け入れるがごとくそっと目を閉じた。
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