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□絡めるように縛って
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 女中を若様に寝取られ意気消沈した藤田様を見て、私は彼の心の隙間に取り入ろうとした。
 ずっとずっと……このお屋敷に来た時から好意を抱いていたから。











「藤田様」

「ああ……名無しか。どうした?」

 何か聞きたいことでもあるのか、と聞かれて私は彼と相対した。
 その長身を見上げて、静かな声で尋ねる。



「あの子と、別れたのですか?」



「っ」



 普段は冷静沈着な藤田様の仮面が驚愕に染まった。それを心のどこかでうれしいと思う。彼のそんな一面を見ることができたということが、うれしい。



「……なぜ、そんなことを?」



 不快を表に現さないように努める藤田様の顔を、もっともっと歪ませてしまいたいと思う私はおかしいのだろうか。



「待っていたんです」



「なに?」



「私はあなたがあの人と別れるのをずっと待っていたんです」



「……」

 どういう意味だ、と尋ねてこないのはおおそよの検討がついたからだろう。私はずっと彼を見続けてきたのだから。でも彼は自分の愛する人のために私の存在を視界からそっと外していた。




 ……どうしてこんな純粋で一途な人を手放すことができるのだろう。若様に気に入られれば女中風情が「奥様」と呼ばれる未来を約束されたとでも? そんなことはありえない。あの若様も、ほかにずっと見続けている人がいるのだから。一時の慰めがほしいだけなのだから。




「……好きです、藤田様。あなたのことが」



「名無し……私は」



 ぎゅっと寄せられた藤田様の眉間のしわに、私は必死に言葉を紡ぎだす。



「私はあなたのそばを離れません。あなたが私を捨てない限り。今はあなたの心が私になくてもいい。でも……っ!」




 冷静にいこうと思っていた。
 でもそんな仮面はすぐに剥がれ落ちた。
 だって……ずっと目の前の人だけを見てきたんだもの。ずっとずっと、手に届きそうで届かないところにいたこの人が手に入るかもしれない位置にいるんだもの。





「あなたにこれ以上悲しい顔をさせたくはないんです!」





 言い切ると同時に荒い息に肩が上下しているのがわかった。



 これほどまでに緊張しているとは……自分でも滑稽だと思う。けれども彼が手に入るのなら少しぐらい滑稽でも構わない。




「……私は、これ以上裏切られたくはない。移り変わる心に翻弄されたくはない。すまないが……」



「っ!」



 断られる。
 そう思った瞬間、私は自分でも思うほど大胆に彼の胸に飛び込むと精いっぱい背伸びをして唇に口づけた……つもりだったのに。悲しいかな、身長の差があるせいで、口づけられたのはあごのあたり。




「女が告白しているんです!
 藤田様……っ!」





 泣き出しそう。
 もう滑稽なんてものじゃない。
 みじめだ。
 色気で誘うにもまだ足りず、言葉巧みに誘うにもうまくいかず、これ以上どうすればいいのかわからなくて彼の顔を見上げると、藤田様は切なげな顔をしてすっと顔を近づけた。





「んっ」



「ん……」



 重なる唇。
 あまりにも甘いそれに私はそっと目を閉じて陶酔に浸る。





「……私はこれ以上人に離れて行かれるのが怖い」



「離れていきません」



「……」



 ふ、と藤田様が笑みを浮かべる。




『皆、最初はそう言うんだ』




 そう言わんばかりの笑みにもどかしくな
る。



 ああ、心臓を引きずり出してあなたにだけしか反応しないことを証明できればいいのに!






「……これで最後だと思って、お前を受け入れよう」



「藤田様……っ!」



「私の下の名前を?」



「……均様、と呼んでもいいのですか?」



「様などつけなくていい。下の名前で呼ぶときは、私はお前の恋人なのだから」




「……嬉しいです」




 嬉しすぎて涙が出そう。



「お前の下の名は?」



 尋ねられて、呼んでくれるのかと胸が期待に揺れた。



「名無しさんです……名無しさん」



「……名無しさん」



「っ」



 均さんに名前を呼ばれるだけで、私の名前が甘美な響きに聞こえた。胸を高鳴らせた私の唇を均さんの唇が覆う。






 ああ……私はやっとこの人を手に入れたのだ。

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