‡長編小説‡

□前奏曲−記憶のエチュード−
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僕は今日も黒いピアノに向かっている。

大きな舞台、見守る聴衆、静まる世界。
何度経験しても感じる緊張感に少しだけ身震いする。..この瞬間がなんとも好きだ。

目の前に広がるのは均一なる黒と白の世界。

スゥ..

一度大きく息を吸うと僕は一気に鍵盤を叩きはじめた。

ショパン
「黒鍵のエチュード」。
練習曲と言う意味を持つエチュードだが、ショパンのそれはどれも難曲揃いで美しい旋律を持っている。

おどけた曲調に軽快なテンポ。
表題の通り、一音を除き右手は全て黒鍵を抑えるユニークな曲で、僕は始めにこれを弾くのが大好きだ。

これからショパンを弾きますよ、の合図となってしまっている。


僕の名前は浅見政司。日本でピアノが好きな方々には有り難い事にも「天才ピアニスト」などと大それた肩書を頂いている。
気の弱い僕にはひどいプレッシャーだし、どこか気恥ずかしいので勘弁してほしいのが本音だが、今はその肩書のお蔭で堪能出来る貴重な経験を楽しませて貰っている。
ので、この肩書に酔いしれた事は一度も無い。


しかし、そんな僕は5年前、23歳の誕生日を迎えた頃、
全ての記憶を失った事が有る。


記憶喪失だ。
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