我が臈たし悪の華

□4
1ページ/1ページ






これから始まる生活に心踊らせたところで、ハリーはハッとした。
恐る恐る横目でライジェルのほうを見ると、無表情に青い表紙の本を読んでいる。
ハリーは窓の外の赤毛一家を見るのに夢中で、ライジェルをほったらかしてしまったことにようやく気づいたのだった。
すー、と、気配を殺して窓のほうを向いていた体を正面に戻す。せっかく誘ってくれたのに、もう愛想を尽かされてしまったかもしれないとハリーは心配になった。

「……ええと、ライジェル」

沈黙に耐えかねたハリーが精一杯の勇気を集めて声をかけると、青い表紙の本の向こうで、無表情だったライジェルの頬がぷくりと膨らむ。
本越しに拗ねた顔を見せる彼女に、ハリーは眉を下げた。

「ごめん、僕、」
「気づくのが遅すぎるわよハリー。レディをほっぽっておくなんて、英国紳士としてあるまじき所業だわ!」
「うん、ごめん、つい。」
「でも仕方ないから今日は許してあげる。次はないからね」
「ごめん、ありがとう、ライジェル」
「こら。ごめんの回数が多いんじゃなくって?謝罪じゃ女の子のご機嫌とりは出来ないのよ」
「うん……」

ライジェルは、あたふたと視線をさ迷わせるハリーをからかうように笑った。
それを見て、ようやく安心したようにハリーも笑顔になる。

「魔法界は初めてだものね、ぼーっとしてしまっても無理はないわ」
「実は、9と3/4番線への行き方がわからなくて困ってたところを、あの人たちに助けてもらったんだ」
「まあ」
「さっきも手伝ってもらったし、いい人たちだなって。ライジェルは迷わずに来られたの?」
「案内人がいたからね」
「案内人?」

ハリーがおうむ返しに尋ねたちょうどそのとき、コンパートメントの戸が遠慮がちに開かれた。

「ええと…ごめん。ここ空いてる?ほかはどこもいっぱいなんだ。その、君たちのお邪魔はしないからさ…」

赤毛の一団の、一番年下の男の子だ。

「そりゃ僕だっておじゃまむしなのはわかってるんだぜ?でも、本当にもうここしか空いてないんだ。僕、到着するまで寝てるからさ…」
「待って、何の話をしてるんだい?席なら空いてるから、どうぞ」
「じゃあ私、ハリーの隣にいく」
「さっき、うちの兄貴たちがここに来たろ?ガールフレンドといるから、ここだけはやめろよって言われたんだ」

はた、と顔を見合わせたハリーとライジェルは、それぞれ違った反応をした。

「おねえちゃんよ!」
「ライジェル、そっちで大丈夫?窓際がいいなら動こうか」
「平気。ねぇあなた、からかわれたのよ、それ」

ライジェルが赤毛の少年に言うと、またも戸が開き、双子が戻ってきた。

「おい、ロン」

友人のところにいくと告げた双子に、ロンと呼ばれた彼は「君たちまた僕で遊んだな!」と顔を赤くして食って掛かる。
兄たちは「何のことやら」と意地悪な顔をした。

「ハリー」

口をもごもごとさせているロンを尻目に、双子のもう一人が言った。

「自己紹介したっけ?俺たち、フレッドとジョージ・ウィーズリーだ。こいつは弟のロン」

ライジェルのほうを見ると、少し肩をすくめてにたりと笑った。どうやら弟をからかうネタにしたことを彼なりに詫びているらしい。

「そっちのお嬢さんは?」

「ライジェル・アルテミシア。」

変わった名字だ、とハリーは思った。同時に、綺麗な名前だとも思う。浮世離れしたような雰囲気の彼女には似合いの響きだ。

「月の女神様ね。すごいな、君、全然名前に負けてないよ。じゃ、またあとで」

双子が出ていくのを見送り、ライジェルはロンがハリーにずけずけと質問するのも気にならないくらい思考の海に沈んでいった。
女神アルテミスの神話がくるりと頭の中を回る。


(夜の海、放たれた銀色の矢……その晩女神が射抜いたもの……)


ハリーはロンの質問に答えながら、ぼんやりと黙りこんでしまったライジェルを横目で気にしていた。
双子がじろじろとハリーを見ただけでも怒りを露にした彼女は、ロンが熱心に質問する様子も気に障るだろうとハラハラしていたのだが、双子が出ていってからというもの心ここに在らずという感じだ。きっといつも通りのライジェルなら、気の強そうな目を更に鋭くさせてロンを睨んだに違いない。

「ライジェル?」

ハリーが名前を呼ぶと、彼女はびくりと肩を揺らした。

「えっ?」
「大丈夫?やっぱり、窓側に座るかい?」
「あ、いえ………大丈夫よ、なんでもないの…少し、」

そこまで言いかけて、ライジェルは一瞬ロンを見た。
少し迷っていたふうだったが、やがて口を開いた。

「…家族のことを思い出してしまって」
「そういえば僕、まだ君のことを全然知らないや。教えてくれるかい?家族のこととか、他のことも」
「え、君たち幼馴染みかなにかじゃないの?」
「再従兄弟なんだ。この間ダイアゴン横丁で初めて会って」
「私のことを話すのは構わないけど………うーん、そうね…あなたは大丈夫かもしれないけど、彼にとってはあまり良くないわ」
「僕のこと気にしてるの?」

ロンがムッとしたように言った。

「気分を害するわよ…ハリーは有名人だけど私はそうじゃないもの。別に、闇の帝王に立ち向かったわけじゃないし…」

ライジェルの言い方であることに思い至ったハリーは、思わず彼女をまじまじと見る。

「ライジェル…まさか…」
「そうよ。私も両親がいないの。…ちかしい親戚も誰もいない…母上は私が七つのとき亡くなったわ。生まれてくる前に父上も。それからは、屋敷しもべ妖精と二人っきり…」
「………ごめん」
「だから言ったじゃない、気分を害するわよって。でもそんなに深刻に考えないで。面倒を見てくれる方も、後ろ楯になってくださる方も私にはいるわ」
「ライジェル、屋敷しもべ妖精って?」
「お手伝いさんみたいな感じかしら。家事は全てこなしてくれるわ」
「ちょっと待って。ハリー、君ね、よりによって突っ込むところはそこ?もっと他にあるだろ」
「詮索することじゃないよ。ライジェルが聞いてほしいときでいい。僕にはわかるんだ」

ロンは気まずそうにライジェルを窺ったが、彼女はあっけらかんとした様子でロンのほうを見ていたので、ぎょっとして思わず窓の外に視線を移した。
今更になって、ライジェルがとても整った顔立ちをしていることを思い知る。

「ライジェルも魔法使いの家系なの?」
「ええそうよ!」
「じゃあ君も、もう色んな魔法を知ってるんだろうね」
「んー、そうね、マグル界育ちのハリーに比べたら知ってるでしょうね。でもマグル生まれの子もいるはずだから、不安に思うことはないわよ。もし授業でわからないところがあったら私が教えるわ」
「頼もしいや」

育ちの良さそうな、お嬢様然としたライジェルは、確かに英才教育でも受けていそうな雰囲気だ。

「君…ええと、アルテミシア」
「ファーストネームで結構よ」
「じゃあ…ライジェル。君、ほんとにアルテミシアなんて名字なの?」
「何言ってるんだい、ロン。さっきそう言ってたじゃないか」
「だってハリー、彼女、きっとお嬢様だぜ。着てる服もなんだか高そうだし、お行儀もいいし。魔法界で富豪っていうと結構名前を知られてるもんだけど、僕、アルテミシアなんて初めて聞いたんだ」

ハリーはライジェルを見た。
変わった名字だとは思ったけれど、それだけだ。違和感なく彼女に似合っている。

「………アルテミシアがファミリーネームだなんて、私一言も言ってないわ」
「やっぱり」
「ウィーズリー、あなた思ったより鋭いのね。誤魔化しきれたつもりでいたんだけど…でもちょっと不躾だわ。そこまでわかったなら、私が名字を明かしたくないんだとは思わなかったの?あなたのお兄様方は見逃してくれたわよ」

ライジェルが言うと、ロンは「あー…」と唸りながら視線をさ迷わせ、「ごめん」と項垂れた。

「いいわ。どうせ後でわかるのだし。でも今はだめ。ホグワーツに着く前に気が滅入ってしまうわ。私も、あなたもね」
「君んち、そんなにヤバいの?」
「もう察しはついてるんじゃなくて?」

ロンとライジェルの会話が耳元を飛んでいくのを、ハリーはただ唖然と見ていた。
二人が何を話しているか全然わからないし、ライジェルに隠し事をされていると思うと、問い詰めたい気持ちでいっぱいになったが、彼女がそれを嫌がっていることはわかったので、もやもやしたものを抱えながら黙っているしか出来ない。
ちょうどそのとき、ハリーの鬱屈した気持ちを晴らすように車内販売のワゴンがコンパートメントを開いたのだった。








.

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ