我が臈たし悪の華

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驚きと興奮の波に飲まれるまま、ハグリットに連れられダイアゴン横丁を歩いていたハリーは、ふと誰かに呼ばれたような気がして足を止めた。
ここに来てからと言うもの、名前を囁かれたり呼び止められたりすることがもう数えきれないほどあったが…。
立ち止まって周りをぐるりと見てみても、ハリーを呼び止めた人はいない様子だ。
ハリーのほうを振り返って見ていたりする人はいたが、それもしばらくのことで直ぐに慌ただしく買い物へ戻っていく人ばかりだった。

「どうしたハリー?」

急に立ち止まったハリーを不思議に思ったハグリットが声をかけてくれるが、ハリーは「うん…」と曖昧な返事をした。
誰かに呼ばれた気がする、とは、なんとなく言いづらかった。自意識過剰に思われるかもしれないし、頭の心配をされるかもしれないのが嫌だった。

「なんでもないよ」

行こう、とハリーは続けるつもりだったが、その言葉は声にならず、代わりにもの凄い衝撃がハリーの背中を襲った。
弾丸が突っ込んできたのを受け止めてしまったような、咄嗟に息がつまり変な声をあげてしまう衝撃だ。
その突然の衝撃をハリーが認識するのとほとんど同時に、高い声が聞こえた。


「ハリー!!」


女の子の声だ、とハリーは思った。
慌てて振り返ろうとしたのだが、ハリーの背中に体当たりでも食らわせたような女の子はそのままハリーにくっついていて、どうにも振り返ることが出来ない。
不意に、柔らかくて甘い、優しい匂いがしたのを感じて、「薔薇の匂いだ」と思うと、女の子に抱きつかれているという現実が一気に押し寄せてきてハリーは頬を紅潮させた。

「ハリー、会いたかった!期待はしていたけれど、まさかこんなに早く会えるなんて!入学式まで会えないものだと思っていたから、私毎日そわそわしながら過ごしてたのよ!なんて幸運なのかしら!」

そんなハリーの様子などお構い無しに、女の子はいっそうハリーに強く抱きついてくる。
とても嬉しそうに何かを話していたが、ハリーにそれを聞いてやるだけの余裕はない。一言として頭の中に入ってはこなかった。

「あ、あの、あの…っ」
「あら、ごめんなさい私ったら!あんまり嬉しいものだからつい。これで私の顔がよく見えるかしら?」

なんとか離してもらおうと声をあげたハリーだが、彼女は案外あっさりとハリーから離れ、踊るような身のこなしでハリーの前へまわってくる。
くっついていた女の子の顔をみたハリーは、ハッと息を飲んで言葉を失ってしまった。
長くて真っ直ぐな髪はつやつやの黒で、風に吹かれたらさらさらと音が鳴りそうなほど滑らかな輝きをしていた。キッとした大きな目がまるで子猫のようで、きらきら光る灰色はまばたきをする間に青っぽく見えたり黒に見えたりして綺麗だった。
何より、"これが黄金比だ"と言わんばかりの完璧な配置で形作られた顔が、自分と同い年くらいなのに完成されたような美しさで、ハリーは生まれて初めて自分の耳が赤くなっていく音を聞いた。

「ふふっ、私、あなたのこと遠くから一目見ただけなのにすぐにハリーだとわかったわ。あなた、ジェームズおじ様にそっくりなんだもの!」
「え……」
「あ、ジェームズおじ様に直接会ったことがあるわけじゃないのよ?私あなたと同い年だもの。無理だわ。私のお家におじ様の写真があるのよ。ほとんど毎日見てたから、あなたがおじ様の息子のハリーだってすぐわかったわ」

ジェームズ、という名前を聞いて、ハリーは一瞬で気を取り直した。
それはハリーが幼い頃にいなくなってしまった大好きな父親の名前だ。
彼女はにこにこと嬉しそうにハリーを見て「髪の毛なんか特に似てるわ!」と笑っている。
少し冷静さを取り戻したハリーは、ようやく一番大事なことを聞くことが出来た。

「あの、君は?」

ハリーが尋ねると、彼女はピタリと動きも表情も止めた。
びっくりした顔のままハリーをまじまじと見つめたと思えば、だんだん顔が赤くなり恥ずかしそうに俯いてしまう。

「やだ……ごめんなさい、私ったら………そうよね、私はハリーを知ってるけどあなたは私のこと知らなくて当たり前なのよね……いいえ、それより初対面のひと相手に自己紹介もしてなかったなんて……」

もごもごと口の中で羞恥を語る彼女は、先程までとうって変わってとても大人しげな少女に見える。
ハリーはじっと彼女を待った。
よく見ると、彼女は胸に白薔薇の生花をさしていて、香りの正体が思ったとおり薔薇だったことを知る。
そんなことを考えている一瞬の間に彼女は気を取り直したようで、凛とした意思の強そうな目でハリーを見ながら「私はあなたの再従兄弟なのよ」と言った。

「はとこ?」
「あなたのおじい様と私のおじい様が兄弟だったのよ。ジェームズおじ様の従姉が私の母なの」
「父さんの」
「そうよ。私、ライジェルっていうの。よろしくねハリー」
「うん、よろしく。……ライジェル、今日は一人で来たの?」
「そうよ!おつかいくらい一人で出来なくちゃって思って。ハリーは?」
「あ…、その」

そこ、とライジェルの後ろを指差すと、ほったらかしにされて少し拗ねたような顔になっているハグリットがむっすりと立っていた。
ごめん、と目で謝ると、ハグリットはちょっとだけ肩をすくめる。

「きゃあ!ごめんなさい、私てっきりオブジェかなにかだと…!あなた随分おっきいのね」
「オブジェになりきっとったからな。お嬢ちゃん、買い物は済んだのかい」
「あとは杖を買えば終わりよ。他の荷物は先にお家に送ったわ。………ねぇあなた、もしかしてハグリット?」
「きみ、ハグリットを知ってるの?」
「やっぱり!聞いたことがあったのよ、ホグワーツの森の番人は見上げるほどの大男だって。なぁんだ、ハリーってば随分頼り甲斐のある相棒をつれてるのね」
「なぁお前さん、」
「だめよハグリット。私はやいところ杖を買って帰らなくちゃいけないの。何かあるなら入学式まで待って頂戴」
「………?」

何事か言いかけたハグリットを遮るように、ツリ目をさらにキッとさせたライジェルが首をふる。そのとき、一瞬だけハリーはライジェルと目があった。すぐに逸らされたが、なんとなく居心地が悪くなるような空気を感じ、少しだけ身じろぐ。

「そうだ。ハリー、私あなたに贈り物があるの!」
「えっ」
「いつ会っても渡せるようにって肌身離さず持ってて正解だったわ!あなたきっと欲しがると思って。はい」
「……え、これ」
「そうよ」

ハリーが渡されたのは、ライジェルの胸元で芳しい香りを撒いていた白い薔薇の花だ。
呆気にとられて、思わずまじまじとライジェルの顔を見返してしまったが、彼女は相変わらずにこにこと嬉しそうにしているだけだった。

「そういうわけだから、ハリー、私もう行かなくちゃ。ほんとはもっとハリーと話したいことがあるんだけど……」
「あ、う、うん」
「そうだ!ねぇ、私9と3/4番線でハリーのこと待ってるわ!ホグワーツまで行くあいだ、お話しない?」
「うん、いいよ」
「約束よ!じゃあまたね、ハリー!」

ハリーが不思議そうに薔薇を見ている間に、ライジェルはさっさとハリーに約束を取り付け、最後に一度ハグリットのほうを見てから人混みの中に消えていった。
あまりに慌ただしかったものだから、ハリーは挨拶さえままならず、その背中を見送るしか出来なかった。
ふいに手にしていた白薔薇が震えたのを感じたハリーは、びっくりして「わっ!?」と肩を跳ねさせた。
ハグリットが何事かとハリーのほうを覗き込む。
「これ、」と薔薇を指差した次の瞬間、はらりと花弁の一枚が散った。
それを追いかけようとしたハリーだが、手の中の薔薇は次から次へと花弁を落として散っていくので大慌てで花弁が舞ってしまわないように両手をぴったりとくっつける。
しかしハリーの努力もむなしく、白い花弁はひらひらと舞い上がってしまった。
貰い物なのに、とハリーは慌てたが、よくよく見てみると花びらはくるくると円を描くように小さな旋風に乗って踊っている。
花びらを捕まえようと伸ばした手をそっと引っ込めて、ハリーはその光景に見入った。
旋風はだんだん小さくなっていき、それにあわせて花弁も集まっていく。やがてそれはひとつの塊になるほど重なって、細かい花びらを散らしながら一枚の紙になった。
自分めがけて飛んできた紙を見て、ハリーはあっと歓喜の声をあげる。

「父さんの写真だ!」

ハリーが持っている父の写真より幼く、ハリーよりずっと大人びた、ハリーにそっくりの人が写った写真だった。
写真の中でこちらにウインクを飛ばしたり、朗らかに笑ったりしている。
ハリーは嬉しくなって、見守っていたハグリットに「見て!」と詰め寄った。
一枚の写真がこんなにも嬉しい。
きらきらした笑顔で写真を見ているハリーに、ハグリットは少しだけ悲しくなった。
父親の写真一枚でこんなにはしゃぐほど、ハリーは両親を恋しく思っていたのだ。
ハグリットはハリーにバレないように、先程ライジェルが消えていったほうを見た。
ハリーの再従兄弟だという少女に心当たりはなく、その姿には覚えがある。
美貌、黒髪、灰色の瞳…

「ダンブルドアに報告せんと…」

「?なにか言った?」

「いんや、何も。さ、買い物に行くぞハリー」

大事そうに写真をポケットにしまったハリーを微笑ましく思いながら、嫌な予感を覚えずにはいられなかった。









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