短篇

□背中合わせ
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「俺はな、晴明。この御方はきっと心の優しい方だと思うのだ。気の弱い、おとなしい方なのだ、と。何があったのかは知らぬが、こうまで恨めしいと思うことがありながら言葉が通じぬというのは、その方が恨みつらみを吐くのを堪えていらっしゃるからなのではないか。」
「だから、勝手な推論をたてて哀れがるな。あれが自分にあたっているうちはいいが、見境無く害するようになったら…」
晴明の忠告も聞きおわらないうちに、博雅は一歩前へ踏み出していた。
手には葉双を握っている。
心優しいのはどっちだ、と晴明は思う。
それが人のみならず、まったく関係のない鬼にまで及ぶお人好しは博雅くらいなものだろう。
呆れて晴明はため息を吐いたが、本当は少しだけ嬉しかった。
自分は博雅のそういう所がどうしようもなく好きなのだと、晴明は知っているからだ。
博雅は、狂う鬼の目の前で、ゆっくりと笛に唇を寄せた。
静寂の暗闇に、葉双の高音が響く。
すると不思議なことに、地に響くような轟音であった鬼の叫び声に、あぁ、あぁ、という女の泣き声が混じるようになった。
「貴女様は、何故泣いているのですか。」
博雅がやさしく尋ねると、鬼の牙は縮み、爪は丸くなり、あれほど恐ろしかった形相が、なんともおとなしそうな、まだ若い女の顔になっていた。
女の霊が前に出てきたのだろう。
「何故、と聞いてくださるのですか、この私に。」
女は悲しみの涙ではなく、嬉しさからくる涙を浮かべていた。
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