短篇

□徒然
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夜である。
特に今夜は月が明るく、酒を飲むには打ってつけだ。
こんなに良い夜であるというのに、晴明の邸はめずらしく静かであった。
いつもなら濡れ縁いっぱいに酒やら肴やらを広げ、博雅と世間話でもしながら夜を明かしているだろうに、今夜はそれが無い。
寧ろ騒々しいのは庭の方で、草や木はざわざわと揺れ、風はぴゅうぴゅうと鳴っていた。
晴明の式達である。
「今夜は博雅様がいらっしゃらなかったわ。珍しいこともあるのね。」
「あら、知らないの?晴明様は博雅様と仲違いなさっているのよ。」
ふふん、と得意げに言ったのは風の精だった。
すっと細く、美しい女性の姿をしており、抜けるような白の衣を纏っている。
自由に動くことのできてたくさん情報を得られる彼女は、話好きな式達に欠かせない存在だった。
「まぁ、また珍しい。」
晴明様と博雅様が仲違いだなんて、と庭の草木の精たちは、口々に驚きの声を上げる。
「なにがあったのかしら。」
「私にもそれはわからないわ。一瞬通りすぎただけだもの。蜜虫なら知っていると思うけど。」
「まぁ。」
しかし皆、聞かなくとも何となく理由はわかっていた。
「博雅様が悪い、ということはきっと無いわね。」
「えぇ。博雅様は晴明様の嫌がるようなことをなさる御方ではないもの。」
「では、また晴明様が嫉妬でもお妬きになっているのね。」
誰かが楽しげに言った言葉にくすくす、と笑いが起こった。
「晴明様ったら。」
「そういえば、博雅様がちょっとでも晴明様以外の方をお褒めになると、不機嫌そうになさるものね。」
「ご心配なのだわ。」
「本当に可愛らしい方。」
「あら、そうでなかったら、私たち式なんてやっていないわよ。」
また、少し大きな声で女性の笑い声が響く。
彼女達はただの人形ではない。
自然の精である。
しかも長きを生きる大樹であったり、高名な寺にいたものであったりすることが多い。
そんじょそこらの陰陽師の式とは訳が違う(と本人達は言っている)のだ。
そんな彼女等が、実に淑やかに晴明の使いをしている理由はただひとつ。

単に晴明が可愛いのである。

母性本能なのか何なのか、彼女達はとにかく晴明をほうっておけない。
自分が産んだ、ぐらいの気持ちでいる。
だから晴明が助けてほしければ助けるし、悲しんでいれば慰める。
そんな可愛い晴明に、ついに旦那が出来たのだ。
これはからかってやるしかないじゃないか。
というのが、彼女達の持論である。
「夜も更けたわね。」
「そろそろ蜜虫も来るんじゃないかしら。」
「本当のことがわかるわね。」
「楽しみだわ。」
月夜に響く、楽しそうな笑い声。
これだけ散々噂をされたのだから、晴明が小さなくしゃみをしたのは言うまでもない。



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