短篇

□徒然
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冬である。
少ないとはいえ雪も降り、木の陰などはまだうっすらと白い。
しかし、今日はなかなか暖かい日であった。
小春日和、とまではいかないが、それでも青暗い雲の合間からは日が射している。
「良き日にございますな。」
保憲は誰もいない庭に向かって静かに言った。
「よろしければ一献いかがですか。」
保憲の視線の先には、よく見ると蜘蛛がいる。
蜘蛛はつっ、と糸をのばし地面に下りた。
「いつから気付いておった。」
気付くと今蜘蛛がいたところには、一人の男が立っていた。
ばつが悪そうに後ろ頭をぼりぼり掻いている。
「道満殿がいらっしゃってからですよ。」
「ふん。」
保憲があまりにあっさりと言ったので、道満はますます困ったような顔になった。
「わざわざ私の屋敷へいらっしゃるとは…何か御用ですか。」
「用といえば用だがなぁ。」
あがるぞ。
そう言って道満は濡れ縁に腰を下ろす。
保憲はどこからともなく杯をふたつ取り出し、そこに酒を注いだ。
「相変わらずなようだが、ぬしはそれで良いのか。」
「何がでしょう。」
唐突に尋ねてきた道満に対し、保憲はあくまで落ち着いている。
「大事な弟弟子であろう。他の男の色に染まるのを、黙って見ておいて良いのか。」
道満は杯を口に運びながら、事もなげに言った。
保憲はその言葉に少々驚いたようだった。
「…まさか道満殿にそのような心配をされるとは思いもしませんでした。」
「心配ではないわ。」
道満はふん、と鼻で笑う。
「ぬしが動くのならば見学させてもらおうと思うたのさ。ついでにあやつのことも引っ掻き回してやったら、いい暇潰しになりそうじゃ。」
「それはそれは。」
恐い御方だ。
保憲は微笑しながらそう呟いた。
「ご期待に添えず申し訳ありませんが、この保憲、何もする気はありませぬ。」
「ほう。」
「まぁ、時にからかってやったりもしておりますが…あの二人のことはめでたいと思っておるのですよ。」
そう言う保憲は何となく嬉しそうである。
「あれの心底楽しそうな顔を、私は久方ぶりに見ました。それだけで十分です。」
「ぬしらしい。」
保憲の答えを聞いて、道満はにやり、と笑った。
「しかし、あまり諦めが良いのも考えもの、ということもあるぞ。」
「生憎、諦めたのではございません。」
保憲は空を眺めながら、事もなげに言った。
久々の日の光が眩しい。
「任せたのですよ、道満殿。」
道満は、それを聞いてなるほど、と唸った。
つまらない、とも思った。
保憲は道満のそんな様子に苦笑する。
「私の晴明への気持ちは、今や恋ではないものですから。」
「ほう。」
「恋というにはあまりにも私は呑気でして。」
「ふむ、まぁ確かにぬしはそういうところがあるな。」
「やはりありますか。」
「ある。」
二人は静かに酒に口をつけた。
甘露。
そうしてしばらく黙って酒を味わっていたのだが、次第にどちらともなく笑いが起こりはじめた。
口元だけの笑みから、くすくすと含み笑いが聞こえるようになり、ついには二人とも大きな口を開けて笑っている。
「おもしろいですね。」
「おう。」
そう時折確かめ合い、また時折その場にいない話題の主に思いを馳せながら、二人はただただ笑っていた。


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