短篇

□ひとならざる。
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「暑いのは苦手ではなかったのか、黒川主。」
「…川を泳いできたからな。問題ない。」
黒川主はようやく口を開くと、その場に腰を下ろした。
「飲むか?」
晴明が杯を差し出すと、黒川主は、いや、とそれを遮る。
「まず水をくれ。」
「だろうと思った。蜜夜。」
「あい。」
蜜夜の返事が聞こえたかと思うと、すぐに彼女が桶を持って現われた。
桶にはなみなみと、透明な水が入っている。
「随分と準備がいいな。」
黒川主が驚いたように言うと、晴明は、
「ふん、俺をなめるなよ。」
と言って鼻で笑った。
「別になめてはいない。」
そう言いながら、黒川主は足元に置かれた桶に、そっと足を浸した。
染み渡る水の感触に、はぁ、とため息をもらす。
「晴明どのには世話になったし、その力にも感服している。だからこそ、今日は頼まれてほしい。」
「ふむ…」
晴明は良いとも嫌だとも言わず、ただ頬杖をついて耳を傾けているだけだった。
そんな晴明を特に気にもせず、黒川主は相変わらずの真剣な眼差しで話を続ける。
「一目でいい。綾子どのに、もう一度だけ、あわせてもらえぬだろうか。」
「な…!」
その申し出には、さすがに晴明も驚いてしまった。
あのとき、晴明は黒川主とその子供を逃がした。
その時に、黒川主は綾子との縁を切ったのである。
そういう話だった。
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