短篇

□凛と鳴る。
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保憲は思い返すだけで涙も出るような気持ちであった。
あの鬼をも信じる純朴な人が、眉間に皺を寄せ、唇を噛み締めているのはとても痛ましい。
「俺もよくわからなくてな、どうしてそのようなことをおっしゃるのか訊ねてみたのだ。そうしたら…」
博雅はそれを聞かれて困ったような顔を浮かべていた。
そうして、晴明には言わないでくださいと念を押してから、実は、と打ち明け始める。
『晴明は、私に好かれて困っているのだろうかと思う節がありまして…』
保憲はそれを聞いた瞬間、絶対にそれはないと思った。
あの無感動男があんなに嬉しそうに笑ったり、あんなに悲しそうに顔を歪めたり、あんなに目に見えるほどに怒ったりするのを見たのは初めてだ。
晴明は博雅で保っていると言っても過言ではない。
寧ろ、晴明は博雅に嫌われたらどうなるのだろうと心配になるくらいである。
しかし敢えてそれを言わないのは、言って博雅が安心するという保障もなければ、博雅の不安の原因もまだわかっていないからだ。
何の手立てもないまま終わってしまっては、自分が声をかけた意味がない。
『晴明は、一度も私に愛しいと言うてくれません。』
『まさか。』
『いえ、そのまさかで…晴明は優しいので、口付ければ答えてくれますし、抱けば受け入れてくれるのです。ですが、ただの一度も…私を愛しいと言ってくれたことがないのです。晴明と親しくしたいと思っている者は星の数ほどおりますから、私もその中の一人というだけなのではないかと…』
悲しそうに顔を曇らせる博雅に、保憲はすぐにでもそれは違うと言ってあげたかった。
保憲は、晴明にとっておとなしく抱かれるということがどれだけの愛の証であり、どれだけの信頼の印かということを知っていた。
しかしそれを万人に解れと言っても不可能だ。
勿論博雅も知らないし、晴明も保憲も無理に知る必要はないと思っている。
その割に何も教えないくせにわかってほしいと思うなんて、自分勝手も甚だしい。
保憲はこれは晴明の悪いところを直すいい機会ではないかと思った。
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