短篇

□ひとのよばふは。
3ページ/29ページ

しかし晴明は、
「ご冗談を。お戯れはその位にして、博雅に事の次第を話して頂けませんか。」
そう言ってにっこりと怖いくらいに笑んだ。
戯れていたのは晴明もだろう、と博雅は思ったが、言うと後々大変なことになりそうだったので止めておいた。
それを感じたのは保憲もであったようで。
「あ、あぁ。すまん。」
慌てて話し始めた。
「博雅様においで頂いたのは、ひとつお願い申し上げたいことがございましてなぁ。」
保憲はすまなそうにぼりぼりと頭を掻いていた。
「私に、ですか。」
「はい。話せば長くなりましょうが…」
山中の庵に、とある男が住んでいた。
もとはなかなかの官職についていた真面目な男だったのだが、その糸がある日突然ぷっつりと切れ、妻子を捨て、今では独り野山に囲まれて日夜写経に励んでいるという、まぁ典型的な世捨て人である。
その男が、昔の伝手を頼りに賀茂保憲のもとを訪れたのは昨晩のことであった。
「私も近頃は陰陽道の方はご無沙汰でしてねぇ、晴明を紹介して面倒ごとは断ろうと思ったのですが、いやに慌てておる様子でしたので仕方無しに屋敷へ招き入れたのですよ。」
今思うとそれが失敗でございました、と保憲は口を開けて笑っていた。
それに合わせて、晴明もそうでございますねぇ、とか何とかいつもは全く遣わないような敬語を遣いながら、紅をひいたような唇を微かに上げてくすくすと笑う。
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ