短篇

□遠出
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そうかぁ、と首を捻りながら、博雅は酒を飲む。
まったく勘が良いのか悪いのかわからない。
そこが博雅のすごいところなのだが、と晴明は苦笑した。
「まぁ、俺が山に来たかったのは本当さ。」
晴明は自分で自分の杯に酒を注ぎながら、事もなげに言う。
博雅は、あ、と思ったが、気付いた頃にはもう、晴明の杯はいっぱいになってしまっていた。
白く濁った甘い液体が、小さく波打つ。
「俺はもともと山が好きなのだ、博雅。都よりずっと空気が澄んでいるし、落ち着く。」
「う、うむ。確かにそうだ。」
「それに、」
晴明は不意に視線を落とした。
伏せられた相貌が、いやに艶めかしい。
「山には人が少ない。」
晴明はそう言って、勿体ないことに、山の湿った土に向かって、その美しい笑みをこぼす。
「言うてみれば、山は俺の母であり、故郷だ。賀茂家を出てからしばらく山籠りをしたことがあるが、その時やっと、俺は“俺になった”と感じることができた。」
だから、あぁ山へ行きたいなどと、何の前触れもなく思うことがあるのだと晴明は言った。
ちょっとした郷愁の念が顔を出しただけだと、軽口を叩く。
「なるほどなぁ。」
博雅は、妙に深く頷いていた。
「つまりだ、晴明。」
「つまり?」
何か言い換えねばならぬことがあっただろうか、と、晴明はその答えを探すように博雅を見る。
博雅は至って真面目に晴明を見つめ返していた。
「お前、何か嫌なことでもあったのだな。」
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