書庫3

□月下相問
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夜の散歩は実に心地よい。体中に溜まった毒素が抜けていくような気がする。夜光は不躾な太陽とは異なり、何にでも優しい。
煌々とした月光が美しい夜だった。
こういう夜は、化生でも精霊でも月光を浴びて散歩がしたくなるのだ。

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無造作に屋根の上に登ると、ネオンすらも足下で踊っている。普段敬遠するそういうものも上から見下ろしていると、海面に散らばる陽光の欠片のようで存外に美しいものだということをここ数年で土方は知った。見上げれば下品なショッキングピンクがちらちらと今は柘榴石の一種のように淡く柔らかくまたたいている。
土方はぶらり、と脚を投げ出すように歩いた。子供のような歩き方だ。
そうすれば一歩分だというのに、次の屋根は地面が縮んでしまったかのように直ぐ足下に現れるのである。
土方は人間ではない。
人間のふりはしていても、もう二千年は生きている大妖怪だ。化生のほとんどが人間と天人のもたらした明るさを嫌い数少ない霊域や異界へと引き込んでいるから、現在では珍しくも人間の中で生きる化生である。
化生とはいっても精霊的な性質の強い土方にととって、決して人間たちの中で生きることは快適とは言い難いのだが、千年もそうしていれば次第次第に身体の方が慣れてくるものである。今ではすっかりと適応してしまったが、それでもやはり身体はいつでも少し重たく感じられた。
軽く跳ね上がれば空を飛んでいるような気がする。
黒髪に黒い着流しの土方はそうそう夜に紛れてしまって見つかることは無い。天人は人間とは大分異なった体つきをしているものが多いから、そういう輩が酔っ払って暴れていると思えば近寄るものもいないのである。
肺に一杯、夜の空気を吸い込めば身体が静謐に近づくような気がした。
夜の冷えた粒子は肺胞をちくちくと刺激しては身体の内へと入り込んでくるようだ。

「土方、」

もう一度ゆっくりと息を吸って、吐いた瞬間横合いから知った声に名を呼ばれた。
くるりと振り返れば、やはり知った相手が同じ屋根に上るところだった。手配書や追いかけるときに見るような和装ではなく、白い包の上下姿だ。髪こそいつものようにざらりと伸ばしっぱなしにしているけれど。

「桂」

ふう、と土方は笑って男の名を呼んだ。
異装で来たということは、この男もいつもの関係ではなくて、旧友として現れたのだろう。
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