書庫3
□海鳴(コネタより)
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知らず唾を飲んでから、不躾な音に大鳥は慌てた。こんなさみしそうなひとを前にして、何故そんな反応をしたのか自分でも分からなかった。
「とにかく…そんな格好をしていると風邪を引きます」
この土地の人間ならこんな格好はまずしないだろう。
秋の終わり、刻々と冬の近付く今海風はもう身を切るような冷たさだというのに、青年は着流しの上に薄物を一枚羽織っただけだった。いかにも遠くまでは行けなさそうな格好をしているというのに、足元に放置された荷物は旅用に小さくまとめられている。見ているこっちが寒そうだという大鳥は昨年この土地を甘く見てまんまと風邪をこじらせた男だ。今はちゃんと上着を着込み、ちょっとした散歩のつもりで綿入れまで着て来ているからこちらは少し着膨れして暑苦しい。
「俺は風邪ひかねぇから」
また青年は目蓋を伏せてさざなみのように笑った。
ほんの少しつりあがった真っ赤な唇の端は、そこらの女など比べようが無いほどに艶がある。どう見ても華奢な体は丈夫とはいえそうにも無いのに、この青年は自らの健康に絶対の自信を持っているらしい。だがそれは過信というよりも、もっと上にある当然のことわりであるように青年が言うものだから、大鳥は呆れるより前に少しだけ腹が立ってしまった。どこにそんな確証があると言うのだろう。
「どれだけ丈夫なひとでも、生きているなら病気だってします」
僕は医家の出身だから、と言い訳にも理由にもならないようなことを言って着ていた綿入れをかぶせる男に、青年は軽く目を見開いた。
「し、失礼」
驚かれてからやっとわれに返った大鳥は慌てた。初対面の人間にいきなり着物をかぶせられたら驚くに違いない。だがかちかちに固まってしまった大鳥に、
「いや…そうか、生きてるか……」
しばらく綿入れに呆然と手を添えていた青年は、やおら微笑した。
矢張り少し悲しそうな顔だった。
ひたりとそれから目蓋を下ろして、
「……生きて、るんだな…」
未だ、と続けた声は小さかったが、近くに居た大鳥の耳にははっきりと聞こえた。
やはりこの青年は、ここに死にに来たのではないだろうか。不安になる前に、肩に掛けられた綿入れに青年が真白い頬を寄せるようにしてありがとう、と呟くものだから大鳥はそんな間もなく赤面した。