書庫3

□褪せない寓話
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土方は両手を小さく挙げ降参を示した。言い合いをしに来たのではない。

女の名は宗(ソウ)、という。

人ではない。
都から東方に二里ほど離れた山裾にあるこの森の守主であった。
真名は知らぬ。
土方の母親が宗、と呼んでいたから、土方もそう呼ぶことにしている。第一齢千才を数える土方を子供扱いするほどに、宗の齢も相当のものであり、真名をやすやすと奪われはしない。
都の北に居を構えていた土方の母親が宗とは懇意にしていたため、まだ幼い頃から土方は宗の森と巣を行き来していた。母親が亡くなってからは一人前と認められるまで後見をしてもらった縁もある。短い間であったけれど、宗は土方の二人目の母と言っても良い。

その宗が、近々子供を産むという。

千年に一度の出産だ。
並々のことではないと、久々に森を訪れてみれば、どういうことなのだろう。森に入るか入らぬかというところでねっとりと絡みつくような瘴気を感じて、来てみればこれだ。

丁度宗が立っているその場所に、前来たときに在ったはずの物が見当たらぬ。

『子に悪いなどと、そのようなこと知らぬ妾ではないわ……』

されど怒らずにはおれぬ。
そう呟く宗の頬が怒りに紅い。その立つ場には、古いけれど清められた小さな祠が在ったはずなのだ。

森守の祠。

この森の奥に作られたそれは宗の住処であり、この森に満ちる気の源でもある。
それが無残なことになっていた。

宗の白い足袋の足下に砕かれた格子の残骸が泥にまみれて転がっている。
放置されながらも枯れることのなかった榊が折れ、中の祭壇は倒されていた。
そこここには中々格子が開かぬことに焦れたのだろうか、やたらに切りつけた刀跡がある。

土方は眉根を寄せた。

「人の子か」
『都の貴族よ。肝を試すとか言うて、妾の森を荒らして行きおった…おかげでこの有様よ。この年のために蓄えた浄気も汚れてしもうた…これでは子など到底産めぬ』
「産めぬと言っても、産むしか仕方が無ェだろう。今から清めは…出来ねぇか」
『とてもとても間に合わぬよ…だから、妾は……。しかし汝れが来てたもうた』
「…何を考えている」

怒りに歪ませた唇をにわか笑ませた宗に、土方は眉根を寄せたまま聞く。
あまりタチのいい話ではないだろう。
けれどす、腹をいつくしむように撫でていく宗の手に目を奪われる。千年もの間このときのために気を集め、子を宿してからは胎内にあってもこうして慈しんだ。それを産めぬとなれば、どうなるか。

宗はちらちらと柘榴のように紅い瞳に鬼火を映し、ゆっくりと微笑った。

『北晨の眷属たる汝れにしか頼めぬことよ―――』
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