書庫1

□俺が殺して埋めたから
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とりわけ余裕のある袋というわけではない。両手のひらに収まってしまうサイズの小さな小さな袋の中に、小さな魚が二匹、ひろひろと泳いでいる。
金魚ではない。薄い赤――――というより肌の色か。二匹の小さなメダカである。
だが小さいとはいってももメダカとして十分に成長しているらしい。少なくともジャコかと疑うような大きさではなかった。
一匹はまっさらな、淡い橙色にも似た色をしているが、もう一匹は全身がやや黒っぽい。同じ種類なのかと聞けば、知るかと返された。何も考えずに掬って来たらしい。

「俺にどうしろっていうんだ、こんなもの…」
「食えとはいってねぇ。ここで飼え」
「ここでか?」

自然怪訝そうな声が出る。ここ、といえば、ここなのだろう。土方の持っている私宅である。まさか屯所にこんなものを持っていって飼えとはいうまい。それでもいいんだぜ、と男は土方の手の内のビニール袋をつついた。二匹は生温い水の中で、驚いたように左右に逃れた。

ここ、といっても土方はいつでも私宅に戻ってくるわけではない。この男が入り浸るようになってからはちょくちょく顔を出すようにはしているが、それでも生活の拠点はあくまでも屯所だ。生き物などとてもではないが飼えるような生活ではない。とはいえ、この男に持ち帰らせても世話をするとはとても思えない。溜息を吐いて、土方は適当に洗面器を引っ張り出してくる。小さな魚だ金魚のように広い面積が必要というわけでもないだろうし、小動物とは違って毎日の細やかな世話も要らないだろうが、やはりヤクザな生活をしているのだ。こんな環境では生き物をまともに飼えはしないだろう。

かといって、今の江戸の川は汚い。川に放すのはみすみす死なせるようなものだ。
どうすべきか、と息をついて洗面器の前に途方にくれたようにかがみこんだ土方の肩に、懐くように男はすりよりくつくつと喉を鳴らした。

「どうするんだ、本当に…。返してくるにしても、もうテキ屋も帰ってるだろうし…」
「ここで飼えって言ってるじゃねェか」

煙草の香りが耳をくすぐっては頬を撫でて浮かんでは消える。上機嫌に男は土方の白い首筋を撫で上げると、うっそりと口唇を歪めて囁いた。

「こいつらに餌やらなくちゃいけねェだろう。…なあ、もっと沢山戻ってこい」

じんわりと情欲を孕んだ声だった。細い質の男の声は、低められて熱を持つと、とてつもなく淫猥な響きを持つことを、土方は知っている――――時には、身をもって。
男の手がぞろりと首筋を撫でて襟に掛かる。節のある指先が、肩口からそうっと、しかし素早く袖を脱がせるのだ。振り向けば、塞がれた口唇はわずかに甘く、そして強い煙草の香りがした。

「ありがたく思えや」

真黒い土方の髪を、少し荒れた男の指の腹が撫でては笑う。

「一緒に祭りにも行けねえ薄情な情人にゃ、こっちも我慢させられてんだぜ」

行きたいと、戯れに言われはしたが、ただの気まぐれ繰言だと思っていた。土方がテロリストと連れ立って歩くことなど出来やしないと知っているくせに。
男は拗ねたように、だがわずか声を笑わせる。

「…俺が誰かに物なんざ遣るのは珍しいんだぜ?」

摺り寄せられる鼻梁に反射的に目を瞑って、喉元でまた笑う男の声を、土方は己の唇で聞いた。
気まぐれな男だ。傲慢な男なのである。自信の塊で出来ているのではないかと思わず錯覚しそうな程、あの男は堂々としている。他者を自分のペースに巻き込んで、いつの間にか我を通しているような男なのだ。そのやり口を知っていながら、巻き込まれていいようにされてしまう自分も大概だ。
そう思いつつも、今土方の私宅には二匹のために用意された金魚鉢の中で、エアーポンプの吐き出す気泡が砂利から伸びる細い藻をゆらゆらと揺らしている。
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