●NOVEL●

□童聞文
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窓の陽射しが眩しくて、少し目を細めた。
3時間目の休み時間。教室の席で腫れていない方の頬に頬杖を付いて、ぼんやりとしている少年。

考えていたのは、もちろん昨日の出来事。

あの『何か』は何だったのだろう。夢だったのか。狐にでも化かされたのか。

否。

実感がある。あまりに現実離れしているが、不思議な現実感が。

確かに見た。居た。
薄灰色でヌラヌラとした、あの『何か』は……きっと『生き物でありながら、人の世に属さないモノ?』
または『本来は人の目に写ってはならない異世界の住人?』

おそらく『現実世界の隣人』である生き物。

それを何と呼べばいいのか。
出逢って善かったのか。


心の中で、答えとは言えない答えを並べてみる。
無意味な問答を思い浮かべては、また答えを探す。

出口の無い迷路のような思考の罠に、少年の頭の中は完全に支配されていた。



「おい。龍輝!」

…少年のことだ。
しかし、気付いていない。

「おいっ!龍輝っ!!」
声の主は語尾を荒げて繰り返した。
少年もまた、沈黙を繰り返す。
全く気付いていないのだ。

龍輝少年は今、ぼんやりとした表情とは裏腹に、頭の中で大忙しなのである。


「龍輝!!何無視してんだよ!!また殴られたいのかよ!?」

怒鳴りざまに机をバンと叩かれ、龍輝と呼ばれた少年は、はっと顔を上げる。

「あ、上城君。何?」

思考の迷路から現実に引き戻されて、少しキョトンとしていた。が、すぐに「よりによって、こいつかよ…」と自然と表情が険しくなる。


本来なら、この上城政樹は龍輝の1学年上の6年生。しかし、人口が少ないこの村では2学年で1クラスなので、学年違いのクラスメイトである。

上城君は小学校入学当時から、何かと龍輝に絡んでは小馬鹿にして来た。

生まれつきの大きな体格と持ち前のリーダーシップで上級生の中でもガキ大将的存在の彼としては、下級生の生意気で何かと目立つチビは、どうも気に入らないらしい。

最初は、龍輝の苗字が「綾小路」と言う、珍しくて少しお金持ちの様な苗字だと言う理由でからかっていた。

しかし、それだけならいくら子供でも、此処まで嫌な顔なんかしない。

2人の関係を決定付ける事件は、龍輝が1年生、上城君が2年生の運動会前の体育の授業で起こった。

人数の少ない学校とは言え、毎年運動会の人気種目はやっぱりリレーである。
この学校では、2学年1クラスの各クラスから4名の選手を選出し、2チームに振り分けて3学年合同6名づつの2チームで対決する『全校チーム対抗リレー』が一番の花形種目であった。
その花形選手を選ぶ為に、タイムを計る授業での出来事。

龍輝と上城君は、たまたま計測順番が一緒になった。
去年もリレーの選手だった上城君は自信タップリに、
「チビと一緒か。余裕で負かして、バカにしてやろう。」
と、ニヤついて悪口を考えているうちに順番が回ってきた。


「位置に着いて、用意。」
甲高くスタートの笛が鳴り響く。
同時にグラウンドの土を蹴りあげ走り出す。
順調なスタートを切りながらも、ガキ大将は頭の中ではまだ悪口を考えていた。

ふと、目の前の景色に違和感を覚えた。

(何で……俺の前にチビの龍輝が走ってるんだよ。)

それはまさに、信じられない光景と言う言葉がぴったり当てはまった瞬間だった。

上城君の調子は決して悪くない。
去年のリレーの1年生代表選手として、恥じない走りである。もちろん去年より、体も走りも成長している。
はっきり言って、かなり速い。

しかし、どれだけ必死に手足を動かしても、バカにしてやるはずのチビに追いつけない。
まるで、自分の体だけがスローモーションのようだ。

風が龍輝を優しく後押ししているふうに見えた。
きっと風は龍輝がそこを通る事を認めているのだろう。

人の形をした風の結晶が吹き抜ける様に駆けて行く、そんな龍輝の背中を見ていた。


勝負は、圧倒的大差だった。


「生意気なんだよ、龍輝のくせに!!」
ゴールするなり、泣きながら龍輝につかみかかり、殴りつけた。体の小さな龍輝は、直ぐに転がされてしまう。
担任の先生に引き剥がされるまでの数秒間、鬼の様な形相で龍輝を殴り続けた。

完全に見下していた下級生に、生意気なチビに、負けるはずのない勝負で負けたガキ大将の気持ちも分からないでもない。幼いながらのプライドも。
しかし…

それからの5年間と言うもの、上城君は事の有る無しに関わらず、龍輝に絡み続けている。

当然、龍輝も耐えるばかりではない。この少年は苛められっ子ではないのだ。
度が過ぎればやり返しもするが、しかしどこかでそんな上城君を憎みきれずにいる様に見える。
何故?

龍輝は知っていた。

クラス中が、いや、今となっては学校中が、常に上城君と龍輝を比べて見ている事を。

あの日ガキ大将に勝った下級生は、勝つことで傷つけた心に気付いていた。

そして、かけっこだけではなく、野球も、サッカーも、勉強も、歌も、絵も、好きな女の子さえも、1番は全部龍輝に取られ続けて、尚負けを認めたくないガキ大将の嫉妬心を。

だが、知っているからと言ってどうなるものでもない。所詮は小学生なのだから。和解の術など知る由もない。

しかも龍輝は、特に努力して奪い取った訳ではない。
天才肌とでも言うのか、何でも初めから出来てしまうのだ。

スポーツも、見よう見まねですぐに巧くなるし、勉強も普通に授業を聴いているだけで、なんとなく覚えてしまう。だから家で教科書を開いたことなど無いのだ。

そんな龍輝を見て、上級生の、ましてやリーダー格の上城君としては負けてはいられない。
不器用ながら必死の影の努力で、今のポジションをキープしている。

…結果、2人は比べられる事になるのだが。


お互いにジレンマを抱えながら、一方の上城君の行為はエスカレートするばかり。
唯一勝てていた喧嘩も、最近では一人で勝てなくなってしまったので、同い年の吉野と堀との三人で仕掛ける様になったのだ。


「何?って何だよ!今日も俺にボコボコにされたいんか?龍輝ィ。」

そう言って、太い指の関節をバキバキと鳴らす。

(俺に、じゃなくて、俺達の間違いだろう。この木偶の坊。)

龍輝はそう心の中で呟く。

「来週のポジション決め、今度こそ、お前をピッチャーから引き摺り降ろしてやるからな!!
お前より俺の方が良いに決まってるだろ!
ピッチャーはチビには無理なんだよ!」

そう言い放ち、龍輝の机を蹴飛ばすと、上城君は行ってしまった。


龍輝と上城君は、少し離れた町の野球とサッカーの少年団に入っている。
どちらの少年団でも2人ともレギュラーなのだが、そこでも相変わらず仲が悪い。

野球に関して言えば、花形ポジションのピッチャーをいつまでも龍輝に取られているのが気に入らない上城君が、毎日の様に絡んで来るのだ。


はぁ、と龍輝は溜め息を洩らし、「うんざりだなぁ」と、頬杖を付きながら眉をしかめる。
龍輝にとって、ピッチャーというポジションも、野球少年団そのものも特別大事な物ではない。
親に半ば無理矢理入団させられて、気が付いたらそのポジションをやらされて、たまたま先月の大会で優勝したってだけだ。
熱血野球少年の5番センター上城君には悪いが、どうでも良いのである。


チャイムが鳴り、ざわめき立った教室に先生が入って来る。
退屈な授業。

龍輝は、また昨日の事を思い出していた。

こんなにドキドキする事は、きっと生まれて初めてだ。

努力や熱中と言った事とは無縁の龍輝にとって、初めて高ぶる好奇心であった。

『あれ』が何なのか、確かめたい。


授業終了のチャイムが鳴る。
帰りのホームルームが終わると、龍輝は真っ先に教室を飛び出した。

好奇心に胸を踊らせて。
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