おはなし
□大嫌いにつける薬は
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また今日も生傷が増えた。理由は殴り合い。といっても直接的なものより、打撃を受けきれずすっ転び、擦りむいて出来たものが多かった。だが、赤くじくじくと染まった部分は見ているだけでも背筋がふるえる。
座ってよと言われて腰掛けたベッドのスプリングは、いくら体の重心を変えようが悲鳴を出さない。
そのうちに手を取られ、消毒液を染みこませた脱脂綿が、傷口の周りをぽんぽんとさわる。直接は触れぬように加減をしているようであるが、どうにも沁みることは避けられなくて、眉を寄せる。
「カカッ‥痛いの?」
弾んだ声色が聞こえて、ふいと正から顔を背ける。
「わかるならもうちょっと優しくできないの」
「してるじゃん。ちょーやさしー オレ」
それとももっとハゲシーのが好みなわけ、と続けられ、思わず「はあ?」という怒号と共に睨みつける。いつものサングラスはしていない(以前割ったことがあるから、それへの対策と思われる)、そのままの目とかち合った。いやらしく微笑んだあと、視線はすぐに傷口へと戻された。あ。
「和也」
「‥‥ないないない‥! やっさしーオレがそんなこと‥」
予想に反して笑い飛ばしてから、ピンセットをしまいガーゼを取り出す。軟膏を付けた後、それをテープでするすると貼りつけていく。恐ろしいまでの手際のよさ。しかもその手つきは豪語したとおりに、割れ物を扱うかのようで、逆に気持ち悪いとさえ感じる。
時計や宝石類もつけていないまっさらな手を見ながら、『オレ、看病、とか、手当、とか好きなんだよね』と以前話していたことを思い出した。
それを聞いて似合わないと目を開いてしまうと、『だって相手がオレ次第で生きるも死ぬもするし、してやった包帯とか取れるまでオレの手篭めみたいな感じするじゃん』と続けていた。ぎょっとして、ほんとうに悪趣味なやつだなと感じていたのだが、『手当』をされて改めてわかる。
今、常人なら大事にされていると錯覚してしまうほどの指先も、実は、
「擦り傷とか、って、消毒付けないで、水で洗ってからラップ巻いてたほうが治り早いって聞いたんだけど」
「あら〜〜〜 さすが名無しさん! 知ってたか! いやーさすが!」
「‥‥‥」
からからと口角を釣り上げて笑う和也に、舌打ちを零す。
つまりこの男はわざと治りを遅くする治療を選んだのだ。そうでなければ先ほどの台詞などでてこない。
にやつく顔を尻目に、そのまま順調に『手当』は進み、あっと言う間にブラウスやパンツの下はガーゼや湿布、絆創膏だらけになった。
今はなんのことなく見えるような打撲ものちのち黒ずんでいくのだろうとか、またお風呂入るの苦労するなとか、そんなことを思うと、深い溜息が出る。それを聞いて和也が楽しそうに口角を上げるのがまた腹立たしいったらない。
「はいおしまい」
ぱん、と勢い良く救急箱の蓋が閉じる音に、はたと気づく。
地味ないやがらせをされて、これじゃやられっぱなしもいいとこだ。今日も先に手を出したのはあちらで、わたしはそれに応じたまでだった。
それでおしまいって、
「まって」
手を伸ばして救急箱を奪う。「え、え」とさすがの和也も困惑したように手を行き場なく彷徨わせている。
なにも打撲を患ったのはわたしだけではない。これはわたしの右足に残る手応えが知っている。
そして網膜に焼き付いた映像は和也が地面に腕を擦らせていたことを知っている。
さらに生理的な涙が出たほどの衝撃があったことを、先ほどのむき出しの目から知っている。
「名無しさん‥?」
「手当してもらったんだもの、わたしからも手当させてもらわないと、」
気が済まない、と救急箱を開け直し、詰め込まれた豊富な医療道具を見つつ、まずはどれにしようかなと左から右へと視線を運ぶ。
さあてどうやってこの御礼返そうか。
和也がはあっと大きなため息をついた。わたしはきっと今いい表情をしているんだろう。