おはなし

□役立たずのバリア
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時間というものは無慈悲で、どんな不本意な状況であってもある程度まで慣れさせてしまう。あるいは、諦めを生み出す。それも強制的に。

わたしが帝愛に入社するはめになってから数週間が経過した。そのあいだに、スーツに着られていたわたしは卒業し、また帝愛というグループの権力の凄まじさ、そしてここにしか居場所がないことを実感した。会長、兵藤和尊の息子である兵藤和也の下につかされ、(見習いではあるが)専属ボディーガード兼世話係という立場になってしまったので尚更である。彼はわたしを妙に気に入ったらしく、『無理やり言い聞かせるのが楽しい』とのこと。勘弁してほしい。元のように健全な学生ライフを送ることは絶望的だった。

扉の前から、ちらりとソファでくつろぐ当の本人に視線を向ける。他にきちんとベッドルームがあるのだから、ここで横にならなくてもいいのになあとため息をつく。


「『坊っちゃん』、」
「……」
「……なにそんな不満そーな目ぇ向けて」


他の黒服から出発の準備ができたと報告を受け取り、それを伝えるために口を開いたらこの仕打ち。理不尽な会社で、御曹司も理不尽だ。
しかしこの反応は予想の範疇であった。最初でこそ誰がこんな奴に絶対に言うまいと思っていたのだが、たまに(この加減が大事)はきだすとすごく酷い目で返してくるのを知り、以来面白くなってしまった。

ぎゅっと皮同士がこすれ合う音がした。背を起こした和也が言う。


「名無しさんさー、オレのことマジ嫌いっしょ?」

にやにやした笑みと、弾んだ声色。

「……嫌いにならないわけないでしょ?」


一介の学生を、殴り飛ばした挙句こんなところで働かせて、とわざとらしく手を仰いで答えると、カカッと笑われる。そして「学生『だった』だろ」と訂正。

要件を言うとテーブルにあったサングラス手に取り、つかつかとこちらに歩いてくる。
最近気づいたのだが、和也は若干タレ目だ。もしかしてサングラスをかけているのはそれを隠すためかと考えるようになった。でも、どうやったって悪人面で老け顔で、全然かっこよくはならないのだ。目以前の問題。


「フーン‥‥ま‥オレも名無しさんのこと嫌いだし? いーんじゃねーのー?」


近くまで寄って、ジャケットをぞんざいに投げてくる。
小さく声を漏らし受け取る。趣味がいいんだか悪いんだか分からない紫の生地に黒のストライプが入ったそれは、新調してまだ真新しい。
問題は次だった。
間を置かずジェラルミンケースが飛んできたのである。目を見開いているうちに平たい面が腕に直撃、そのまま捕まえきれず、足に落下した。しかも角。悲鳴は出なかったものの、しゃがみこむに十分だった。


「おいお〜い‥‥!」


上から投げかけられる明るい声。絶対わざとだ。きっと、歯を出して笑っているのだろう。
唇を真一文字に結び、じんじんとする痛みを堪える。そしてジェラルミンケースを改めて掴み、勢いをつけて立ち上がる。
体と共に弾みのついたケースは、和也の脛へぶつかっていった。


「がっ‥‥!?」
「さあーっ、車待たせていますし行きましょうか和也?」


おもいっきり口角を上げて言い放ってみる。
やられた分じっとしているのも性に合わなかったし、和也もそれは承知だったろう。
割と悶絶している様子を見て、誰であっても痛いものは痛いんだなあと思った。いいものを預からせてもらった、と手元のすこし重めのそれに視線を落とす。
そしてこちらに向けられる2つの目玉に籠っているのは、憤怒だろうか。
サングラスのために分かるはずもなかったが、それだけではない気がした。







役立たずのバリア



(所詮、)
(こいつの前じゃ肩書きに何も意味はない)




おしまい
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