盛り合わせ

□騎士と砂の王
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一体、この剣幕はどうしたものかと上目遣いにテオを窺っていると、その苦悩に歪んだテオの目が、パチッと開いた。
「そうか・・!オレがここに寝泊まりすればいいんだ!」
「へ?」
そうと決まれば、テオの行動は早い。
1時間もしないうちにルシカの部屋と自分のマンションを往復し、寝袋と、とりあえずの生活必需品を携えて戻って来た。
「いいか。トイレだろうが風呂だろうが、オレがつきっきりで面倒をみる。どうせだから、筋力トレーニングのメニューもこなすからな」
覚悟しろよ。
不敵な笑みで仁王立ちするテオに、ルシカは事の成り行きに唖然とするしかなかった。
それでも、正直、テオはご飯の面倒も見てくれるし、気晴らしの話相手にもなってくれるし、それはそれで有り難かった。
ただ、毎度、風呂に一緒に入るのだけは気恥ずかしい。
勿論、裸になるのは自分だけで、テオは服を着ているが、ルシカの住むマンションは高級な部類で、浴室の中も立派だ。
6畳程ありそうな広々とした浴室の中には、ミストサウナのブースと埋め込み式の円形のジェットバスに広めのシャワースペース。
濡れたタイルの上を片足で歩かせるなんて、とんでもない事だ、と、テオは裸になったルシカをお姫様抱っこで運ぶのだ。
シャワー用の椅子を用意してあるから、そこへ座って体を洗う。
洗い終ったら、またテオを呼ぶ。
という事になっているのだが、テオは、行ったり来たりする方が手間だと言って、ルシカが体を洗うのを後ろで待っていた。
そして、体の前面をルシカが洗い終わると、いつの間にかすぐ後ろに来ていて、ルシカの手からスポンジを取り上げると、サッサとルシカの背中を洗ってしまう。
「もうっいいってば・・!自分で出来るって・・!」
思わず泡だらけの手で抵抗したせいで、テオのシャツが派手に濡れてしまう。
「あっ・・ゴメ、ん」
「いいさ。どうせお前を抱えて戻れば濡れるから、脱ぐつもりだったんだ」
いっそ、始めから脱いでおけば良かった。
そんな風にテオがシャツを脱ぎ捨てる。
この時、ルシカは初めてテオの裸を見た。
チームのマネージャーをしているテオの前職が何か聞いた事は無かった。
筋肉質な男らしい体には、怪我の痕がいくつも残っていた。
火傷を負ったのだろうか、白い皮膚が爛れ、まるで今にも痛みを訴えそうな程赤い。
よく見れば、縫った痕や細かな傷がいくつもあった。
「軍隊に入ってた事があるんだ」
ルシカの表情を見て、テオが答えた。
「驚いたろ?」
ルシカはただ黙ってテオに腕を引かれるまま、椅子から立ち上がった。
テオに促され、両手を壁に突くと、泡だらけのスポンジが腰から下へと当てられる。
柔らかく、滑るように、ねっとりと泡が体に塗り付けられる。
「テオ、もう、そこ洗った・・」
言っても、テオの手は動きを止めなかった。
足の付け根から膝、包帯を巻いていない左足の足首まで、スポンジはゆっくりと下りていく。
その間、ルシカはどうしようもなく羞恥に煽られ、俯いているしか出来なかった。
膝を突いたテオの視線が自分の体に貼り付いている。
テオがシャツを1枚脱いだだけ、たったそれだけなのに、それが二人の間にあった確かなものを砕いてしまった。
急に、テオが恐くなる。
テオの視線が、自分に向けられる熱が、目に見えるように濃くなった気がした。
何も言葉に出来ず、逃出す事も叶わず、ルシカはテオがシャワーのコックを捻るのを今か今かと待っていた。





その日、ルシカは火照った体を何度も寝返りさせて、悶えていた。
なぜ、こんな気持ちになるんだろう。
確かに、この数日間は怪我をしたせいで、『そんな気分』では無かった。
はっきり言って、試合に出れないフラストレーションは想像以上のもので、体を動かさないでいるという事が、これ程苦痛とは思わなかった。

・・走りたい。

ボールを追ってジャンプして、体を後ろに逸らしてトラップ。
そして、そのボールをドリブル。
1人、2人躱して、ゴール前。
あとは、振りかぶるだけ。
あの白い網の中へぶち込むだけだった。

あ、と思った瞬間、ルシカの体がベッドからズリ落ちる。
ドンっと鈍い音がして、すぐに、隣りの部屋に寝ているテオにドアをノックされた。
「ルシカ?どうした?」
「テオ・・」
寝室に入って来たテオが、ベッドサイドのオレンジ色の小さな灯りを点けてくれる。
「なんだ、ベッドから落ちたのか?」
ガキじゃないんだから、とテオが微笑む。
屈んで、抱き起こしてくれるテオの首に、ルシカは両腕を回して抱きついた。

この温もりがダメなのかも知れない。

ルシカの体が軽々とテオの腕に抱き上げられ、ベッドへと降ろされる。
誰かの温かさ。
この温かさが自分を蝕んでいく。
1人でいる事が寂しくなる。
そんな事は、今まで当たり前の事だったのに、テオが側にいるせいで、それを強く感じてしまう。
こんなに近くに、自分を大切にしてくれる人間がいるせいだ。
テオが優しいのが悪いんだ。
だから、この手が離せなくなる。欲しくなる。
「テオ・・」
喉から掠れた声がやっとで出た。
「寝袋じゃ、痛いよ・・ベッドで、寝よう・・?」
首に抱きついたままのルシカの表情は、テオには見えなかった。
けれど、ルシカと合わせた胸からは、激しい脈動が鳴り響いてくる。
その一音一音が、強くハッキリと、ルシカの鼓動の大きさをテオに知らしめた。
テオはルシカの背中を抱いた。
腕の中に閉じ込めるように、ルシカの体を腕の中に抱き締める。
そして、それが、お互いの体にどんな影響を及ぼしているかを確かめるように、強く二人は体を抱き締め合った。
例え、これが、自分が仕えるべき主人を裏切る行為だとわかっていても、止まれなかった。
テオは、ルシカの体をベッドの上へ寝かせ、自分もそのまま同じベッドへと入った。







強烈な光りの前に、瞼が痙攣する。
朝日にしては強過ぎる。
こんな日差しを浴びたのは、久しぶり過ぎて、テオは目を覚ましたと同時に目眩にも似た感覚に陥り、再び目を閉じてしまった。
ーーーその瞬間。

「目が覚めたか?裏切り者」

その声に、今度こそテオはコンクリートの床の上で、ハッと目を見開いた。
気付けば、バリバリと轟音が鳴り響き、目の前には王族御用達の軍用ヘリのライトがこっちを突き刺している。
ルシカのマンションの屋上にヘリポートがあった事を、テオは思い出した。
「殿下・・!」
「今更、遅いぞ。おい、お前、自分が何をしたかわかっているな?」
目の前に突き付けられるサーベルが小刻みに揺れる。
ヘリの風圧が凄過ぎて、切っ先が定まらないのだ。
何とか体を起こそうとして、自分が手足を縛り上げられている事に気付く。
「お前には、がっかりしたぞ。その気の無い男だと見込んでいたのに、たった数日、我が愛息子と一緒に生活しただけで、この様とは」
「待って、待って下さい!殿下、オレは、ルシカに誘われて・・っ」
「言い訳など見苦しいぞ、このケダモノが。お前のように自制の効かない男などルシカの側には、もう置けん。いいか、金輪際、二度と私の前にその薄汚い顔を見せるな。もう二度とだ」
そう言い捨てると、ヘリの風圧に長衣をはためかせながら、男は体を翻した。
逆光の中、テオは男の背中に「待ってくれ」と、「話を聞いてくれ」と叫び続けたが、願いは叶わない。
そして、男を乗せたヘリが浮き上がる。
テオは、轟音の中で異変に気付いたが、気付いたところでどうする事も出来なかった。
自分を縛っている縄が、ヘリと繋がっていたのだ。
シュルシュルと縄が振り回されるような音がしたと思った瞬間には、自分は真っ逆さまになっていた。
まだ夜明け前の街の上空へ、高くヘリが浮き上がる。
港の灯りと飛行場の滑走路が、謎解きの答えを導くように光り瞬いていた。
最高の夜景をのぞみながら、ヘリが急激に加速していく。
テオの体はぐるぐると回転し、ヘリが方向を変える度に、激しく揺れた。
どこへ向っているのか。
このままヘリがどこかへ着陸すれば、自分は叩き付けられて死ぬかも知れない。
テオは、逆さまに吊られたせいで頭が上気せ、次第に気分が悪くなり、堪え切れずに、吊られたまま嘔吐した。
ゲホゲホと何度か吐くと、体に寒気がする。
体力を消耗したせいか意識を保つのが困難になる。
いつしか、テオは目を開けている事も出来なくなり、空の上で意識を失っていた。

ルシカ、どうか無事でいてくれ・・

ただそれだけを願い、テオは気を失った。
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