未来ノート

□一つに繋がる物語A
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「結婚て何すか?」
その台詞に、ドキリとした。
クラブハウスのカフェで、たまたま斜め後ろにいた新井がそう呟いた。
「墓場だ」
そう答えたのは新井の横に座る今年30になる田間。
「えーーーーっなんか大変なんすか田間さんち・・」
「バッ・・オレんちは普通だよっ変な事言うな。ってか、お前が夢見てるような事は一切起こらない。それだけは断言出来るな」
「何すかソレ〜っオレが何求めてるか知ってるんすか?」
「裸エプロンだろ」
「求めてませんから。チャイナ服とかも求めてません」
「じゃあ何がいいのお前」
「え。・・女子高生とか?」
「アウトーーー。完全アウトだわ。慰謝料取られて終るな、お前の人生」
そこまで聞いて、聞き耳を立ててた自分が悲しくなる。

結婚ってなんだろう。

どうして、センパイは結婚に拘ってんだろう?
今まで通りじゃダメな事ないと思うのに。
この4年・・オレ達はずっと離れ離れで、確かに苦しい事もいっぱいあった。
一人でどうにもなんない時もあった。
でも、なんとか乗り越えてきたし、それでいいと思ってた。
センパイがここに居なくて辛い時も正直いっぱいある。
夜一人で寝るのが寂しい時もある。
だけど。
アンタがオレを置いて卒業してって、そのままスペインに飛んでっちゃって、あの時の苦しさに比べたら何でも無い。
そのくらいにはオレ、大人になったつもりだ。
それは、離れてても我慢出来るようになっただけで、本当はセンパイが恋しい。
だけど、オレにもやる事がある。
オレに期待してくれてる人達がいる。
結婚して、オレの何が変わる訳じゃないと思うけど、何かが変わりそうな気もするから、オレは迷う。
オレを応援して支えてきてくれた人達に、胸張って言えない事実に、オレは頭を悩ませてた。
まだ恋人の事は黙っててもいい。
だけど・・結婚した、とは言い辛い。


「そんなもん黙ってりゃいいだろ」
近所に住んでるJ2のチームのコーチをしてる春日部さんに、うちで足の状態を見て貰いながら、オレは相談してみた。
前髪が眉に掛かるくらいの短髪で、いつも口はニカニカ笑いながら鋭い三白眼で威嚇してくると選手に恐れられている。
オレがJ2に居た頃は、毎日オレの膝の調子を見てくれてたのが、今じゃ予定が合わない事が多くて週に2回くらいに減ってしまった。
「だって・・結婚だよ?隠し通せるもん?」
「ばーか。日本じゃ認められてねえだろ?無効だろが」
「春日部さんって、すごいスパッとした性格だよね・・。オレはなんかさ・・なんか、こう精神的にこう・・」
「あー、マリッジブルーか。ホント男でもあるって言うもんな〜。ったくスポーツ選手がダセー事言ってんじゃねえよっそんな気持ち弱くて、よくフィールド出れるな。いつでもJ2はお前を歓迎するぞ。いつでも降りて来い」
「芝の上は別だし」
「そうかよ」
口は悪いが、春日部さんの腕は確かだ。
この人にテーピング巻いて貰うだけで、その日走れる距離が変わる。
この人にオレの膝、何度救われたかわからない。
この人が居なかったら、きっとサッカー続けられなかった。
オレの人生を変えてくれた人だ。
「オレさ、次アイツんとこ行ったら・・結婚させられると思う。すげえ強引な奴だから」
黙々とオレの足をマッサージする春日部さんが、こっち見ないでフッと笑った。
「・・止めて欲しいのか?」
それから、下から覗くようにオレの顔を見た。
「『結婚なんかやめちまえ』って、言って欲しいのかよ?」
「そ、んなわけないじゃん」
どうしてか、一音目がつっかえた。
「じゃあ、頑張れよ。また近々A代表あんだろ?どこ行くっつったっけ?」
「・・スペイン」
「そうか。いいな、オレも付いて行きてえくらいだ。スペインなんて学生ん時に一回しか行った事ねえよ」
きっとその時、オレはワタヌキと結婚する。
「あ、そういや、お前の彼氏って誰なんだ?ま、聞いたって知らねえ奴だろうけど」
知ってるよ。絶対知ってる。
「今度・・写真見せるよ」
「おう。見せろ。さて、今日はこれで、バンテージ巻いとくか。寝る時外せよ」
「ありがとう春日部さん」
「おう」
玄関まで見送って、春日部さんが振返った。
「なに?」
なんか忘れた?と、口を開けたら。
「お前、結婚なんかすんなよ。お前、まだ甘ったれてろ。そんなに急いで大人になるんじゃねえよ。だいたい、オレより先に結婚て・・」
ハハッと笑った春日部さんが、次の瞬間には視線を落とした。
それから頭を掻いて、「じゃあ、な」とドアを閉めた。
バタンと扉が閉り、オレは、マヌケにただ口半開きにしたまんま突っ立ってた。
誰も居ないドアを目の前に、ただ立ち尽くして。
少し悲しくなる。
結婚するって・・こんな困る事だったのか。
なんかワクワクする訳でもない。
ただ、どうしよって、どうしたらいいんだって、わかんない。
何か追詰められてく。
どうして、オレはこんなに困ってるんだろう?
愛してんのに。
綿貫の事を、オレは愛してんのに。




それから時間はあっという間に経ち、とある晴れた日の夕方、スペインでの親善試合のため、オレ達はスペインへと飛び立った。
センパイは勿論現地集合。
前回一時帰国した以来の、久しぶりの再会だ。


「久しぶりだな」
ホテルのミーティングルームに先に到着していた綿貫に迎えられ、オレ達は軽く握手した。
数ヶ月ぶりの綿貫の体温に、じんわりと胸が熱くなる。
「元気でした?」
「なんで、敬語?」
「だって・・やっぱセンパイだし」
離したくない手を解いて、他愛ない、当たり障りの無い会話に相づちを打つ。
やっぱり会いたかった。
ずっと会いたかった。
気持ちが震えて、すぐ隣に居るこの男に全神経が集中してしまい、ミーティングの話は右から左で、殆ど内容を理解する事が出来ずに終ってしまった。

「この後、少し抜けるぞ」
ボソっとオレの耳に囁いた綿貫。
その台詞の意味が、綿貫が忙しい合間にここへ来ているからかと、オレががっかりしていると、言った本人に肘を取られ「ほら行くぞ」と引っ張られた。
「お、オレも?」
「当たり前だろ」
眉間に皺を寄せる男に思わず口元が緩む。
「いいとこ連れて行ってやる」
そう笑う綿貫に腕を引かれ、早足がそのうちに駆け足になっていた。
誰もいないホテルの廊下を、綿貫に付いて全力で走り抜け、エレベーターの前で急ブレーキを掛ける。
「バッカ!走るんじゃねえよ」
「センパイのが先に走ってたじゃんか!」
息を弾ませて笑っていると、綿貫の顔がスッと近づいた。
エレベーターの到着する控えめなチンという音が鳴り、ゆっくりと扉が開いていく。
その中から初老の夫婦らしき男女が進み出て、オレと綿貫の間を通り過ぎた。
「乗るぞ」
「あ、はいっ」
誰も居なくなったエレベーターの中に乗り込み、自分の唇に指で触れてみる。
一瞬だけのキス。
それに、こんなに胸が痛くなるなんて思わなかった。
掠るように少しだけ触れた唇の感触、その余韻に胸を締め付けられて苦しくなる。
こんなに好きなんだ。
どんなに離れていたって、一番好きな人だ。
視線を上げると、綿貫がオレを見下ろしていた。
その唇が音も無く動く。
『抱きたい』と。
そして、一瞬の浮遊感の後、再び控えめなチンという音と共に、エレベーターの扉が開いた。
鼓動がやけに胸を叩く。
顔が熱くて恥ずかしくて、前を向けなかった。
綿貫の背中をやっとで追い、ホテルから出ると、タクシーに乗り込んだ。
こんな状態で、一体何処へ連れていかれるのかと淡い期待に胸が疼いた。
このままセックスしたい。
綿貫の部屋へ行って、めちゃくちゃに抱かれたい。
いや、もう何処ででも構わない。
ここはスペインで、誰もオレの事なんて知りはしないんだ。
綿貫に舌を入れてぐちゃぐちゃにキスしたって、きっと誰も咎めない。
火の付いた体をシートに預け、綿貫の横顔を見つめた。
その顔は以前より頬が少し痩けていて、顎に無精髭を生やしたせいか、数割増し、野性味に溢れている。
無意識に綿貫の顔に伸ばし掛けていた手に、自分自身驚き、慌てて下ろすと綿貫が笑った。
「あとでいくらでも触らせてやるよ」
そう笑い掛けられて、恥ずかしくなった。
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