魔界近郊

□★家庭の事情
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家庭の事情






 今年もまたあの季節がやって来た。七香の横で、父はせっせとお参りセットを準備していた。それを横目に、七香はのろのろと朝食を口に運ぶ。

「七香、今年こそちゃんと着いて来て貰うからな。朝飯なんてちゃっちゃと終わらせなさい」

 それには答えず、七香は目玉焼きにぷつりと切れ目を入れる。

「どうしてお前は母さんの墓参りに行ってやらないんだ?その歳でお墓恐い、なんて言わないだろうな。母さんが死んで、今年で何年になる」

「んー……何年だっけ?そうそう、丁度一五年」

 言いながらも七香は膜からあふれ出た黄身を白身に塗りたくる。

「分かってるならちゃんと行って上げなさい。母さんもきっと寂しがっているぞ」

「んー……それはないんじゃないかな。ねぇ?」

 七香はソースを手に取ると、今度はぐにぐにと黄身に混ぜる。

「何て親不孝なんだ!もういい、父さんは行っちゃうからな。あとでやっぱ行くなんて言っても知らないんだからな!」

「ちょっ……まいっか。はいはい行ってらっしゃ〜い」

 父が慌しく出て行くのを見送ると、七香は一気に目玉焼きをかっ込んだ。
父が出て行った以上、朝食を遣って時間稼ぎをする必要はない。しーんとした台所で、七香は食べ終わった食器を運ぶ。

 七香は、別に親不孝というわけでもない。勿論、お墓だって怖くもないし、父親の言っていたことはまるで見当違いだった。これには彼女なりのちゃんとした理由があるのだが、それを話したとして、果たして彼女の父が信じてくれるのであろうか、ということだ。

 七香が、そろそろくるだろうな、と思っていたその時、パンパンというような奇妙な音が連続して壁の方から聞こえてきた。所謂、ラップ音というヤツだ。七香には耳慣れた音だったので既に気にならなかったが、こんな大きな音だとご近所にも聞こえてしまわないだろうか、等と他人事みたいに思いを馳せる。周りの空気がひんやりとしてきて、不意に七香は自分の後ろに例の気配を感じるのだった。

「パパったら酷いわねぇ。七香ちゃんてばこーんなに親孝行さんなのに。ねぇ?」

 ドロン、とレトロな音の後、七香の背後にやや透けた見かけ・二〇代女性が姿を現す。

 彼女こそ一五年前に死んだ七香の母、美園(みその)である。没後もしつこくこの家に居座っているのだ。彼女がまた曲者で、正確な年齢は本人の名誉のため伏せておくが、死亡時三十路の前後であったことは間違いない。ただ、幽霊というのはとことん自分の我が儘の通るものらしい。本人が自分を若く見せたいと思い、また実際若いのだと信じきっているから、この母幽霊は二〇代にしか見えなのだ。

 幽霊というのはそもそも思念的なもので、幽霊である自身と、それを幽霊だと認識する他者がいてこそ、初めてその存在が確定する。だからして、一方である母幽霊の思念はその姿を確定させる充分な要素なわけで。例え七香が「彼女はもう若くない」と認識していても、母幽霊の「思い込みと見栄っ張りの思念」の方が強力で、七香の正論が押し負けてしまうという訳だ。

 これこそ、七香がお墓参りに行かない理由。それは、家族旅行中のご近所さんの家にお歳暮の品を持っていくのにも等しい。留守だと分かっているお宅(墓)に、誰が行こう等と思うだろう。生憎そこまで暇ではない。

 第一、この時期は蚊の発生する危険期間。墓等の薄暗く湿ったところは、蚊の好む典型的な場所。いもしない母のために、わざわざ出歩いて、更にかゆ〜いお土産を渡される……。こんな見え見えの結果は、想像しただけで体がかゆくなる。





(続く。)
主人公→七香(ナナカ)。
夏にぴったり(?)。
ゼミ合宿の際提出した作品がダメ出しされたので改めて書いた話。
アワビは幽霊いるかも派。
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