鳳凰の巣
□★口実、策士の罠
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時の流れとは意外に早いもので
あんなに小さかった君は
あと三寸程まで僕を追い詰めた
僕を振り回してばかりいた君は
いつの間にか立派な青年になり
僕に愛を囁くようになった
ずっと子供だと思っていたのに
その背中は広くて
君の手は温かいままだったけど
その指は長くて
その背中に縋りついたら
その指に手が触れたら
手放せなくなると知っても
もう諦めることなど出来ない
記憶よりも低くなった声が響く
思い出よりも深い紅を追う
───僕はもう君を離さない
口実、策士の罠
ばさばさ、と紙類が重力に従い落ちていく音は止むことなくその部屋に響いている。
必要なものと不必要なものを持ち主でもない男が躊躇う様子もなくてきぱきと分別していく。
その動きに無駄はなく、手慣れたものだ。
朝から夕まで休むことなくこの調子で片付けは進み、漸く部屋の床が見えてきたところだ。
後は目の前の棚に必要な書物や書簡を並べていくだけ。
しかし棚は一つ。本は山積み。よって今棚に並ぶべく物を選別している真っ最中である。
「ヒノエ…」
部屋の主である弁慶は名残惜しげな声で、手荒く片付けをする自分の対の名前を呼ぶ。
ヒノエによって既に分けられた捨てるものの中に、ここ数年読んでいない巻物やら書物やらがかなり含まれている所為だ。
読んでいないとはいえ弁慶の本。片付け下手な弁慶は未練たらたらである。
ヒノエを呼んだのは制止する目的だったが、片付けの鬼と化した甥の動きは止まるどころか鈍る気配すらない。全くない。
「何?」
短く、ヒノエが答えた。
しかしその手は止まらず、絶えず書物や巻物の整理に時を費やしている。
その顔がこちらを見ないところを見ると、弁慶と会話するつもりはなさそうだ。恐らくは名前を呼ばれたことへの単純な返事だろう。
「…それはまだ読んでないんですよ」
だから捨てないで。そう言い含んだ言葉を読み取れない彼ではない。
「………え、あぁ、どれ?」
しかしやはり会話をするつもりがなかったらしく、返事はかなりの間を挟んで返された。
ヒノエは弁慶が先程『それ』と差した自分の足元辺りをちらりとだけ見て、まるで独り言のようにそう問い掛ける。
「その足元の、兵法書です」
というか本当はそこらへん全般捨てないで欲しいんですが。
という言葉を飲み込んで、弁慶は最も捨てられたくないものを改めて指差した。
もっとも口に出来たところで、それでは片付けにならないと彼に叱られるだけだろうが。
「…これ?」
「それです」
ヒノエはやっと整理の手を止め、足元から一冊の本を拾い上げて弁慶に確認を取った。
「大分埃積もってんだけど。今までで読んでないんだから、もう読まねぇだろ」
本にしがみつくように積もっている埃を払って、ぱらぱらと頁をめくっていく。
埃の量や本の古さから不必要と判断したが、内容は予想以上に興味深い。もし時間があればいつかじっくり読んでみたいと思う。
「最近は忙しくて…」
「そんな悠長なこと言ってるから片付かないんだろ?」
ぱふ、と閉じただけでも埃が舞う。呆れる程の扱いの悪さに苦笑しつつ、ヒノエは片付けを始めてから初めて弁慶と目を合わせた。
「あはは。ごもっとも」
「笑って誤魔化すな。そのクセ直した方がいいぜ、マジで」
そもそも何故ヒノエが弁慶の部屋の掃除…もとい整理をしているか、というと、話は午前中まで遡る。
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