鳳凰の巣

□三日月夜の宴
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三日月が鋭く輝いている
闇に輝く一振りの脇差のように


誰もいない夜の海
さぁ
宴を始めようか───…?




天の朱雀、ヒノエは宵闇に満たされた夜の空を仰いだ。
頬をくすぐるように通り抜ける風に、心地よさそうに瞼を伏せて微笑んだ。

「涼し〜…」

夏の夜は暑く、とてもではないが眠れなかったヒノエは海に小舟を浮かべて一人月見に興じていた。
月見、というにはかなり月齢が足りない三日月を眺めながら、『月には兎がいる』という神子の話を反芻した。

「───…ふ…」

思わず笑みが溢れたのは、その話自体にではなく話をしている時の状況を思い出したから。
ヒノエは上手くバランスを取りながら船に寝転んだ。

「…武蔵坊弁慶、か…」

話をしている時の事を思い出せば、その場にいながらにしてただ微笑んでいるだけの叔父が頭に浮かんだ。

「───ごつい名前…」

似合わねぇな、と呟いた。
あの体躯、あの容姿、あの口調…どれを取ってもその名前に相応しい所はない。
幼名の『鬼若』もなかなかに不似合いだったが。

「それはすみませんねぇ」

不意に自分以外の声が闇を渡った。
声だけで誰の声かは分からないまでも、台詞から弁慶である事は容易に想像できた。

「…もうちょっとさ、自然に出てこれない?怖いんだけど」

ゆっくり体を起こすと同じ位の大きさの船が弁慶を乗せて隣に浮かんでいるのが見える。
ギシ、と木の軋む音がした。

「至って自然ですよ」

訊ねるように語尾を上げていけしゃあしゃあと言ってのける叔父から再び月へと視線を戻す。

「ああそう」

呆れた風体で切り返せば、弁慶も倣って月を見上げる。

「月見には…早いんじゃないですか?ヒノエ」

三日月を仰いだ弁慶が不思議そうに此方を向いて訊ねてきた。
ヒノエも月から逸らし、代わりに静かに揺れる紺の波間に目を落とす。

「…別にいいぜ?"堪増"でも」

他に誰もいないのだから本名で呼ばれても何の不都合もない。
ヒノエ、と呼んだ弁慶の声が少しだけ不自然に感じた。

「いいえ…僕はそんなに器用じゃありませんから…常日頃から気をつけておかないと」

ふふ。と可笑しげに笑うものだから、思わず此方も笑む。

「…九郎、だっけか?あいつに言わねぇの?俺が…熊野別当だってさ」

言えば当然、熊野川を渡る必要はない。別途弁慶にも不都合がある様にも見えない。





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