異空間

□★玻璃を濡らす涙の雨に 差し出された救いの手
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『貴方は八葉です』

神子殿に初めてこう言われた時、私はそれを…にわかには信じる事が出来ませんでした。


───八葉?
私が?
そんな馬鹿な、有り得ない。

だって私は
こんなに穢れているのに───

玻璃を濡らす涙の雨に
 差し出された救いの手






「では神子殿。今日はこれで失礼致します」



幸鷹は丁寧に頭を下げ、道の途中で別れの挨拶をする。



「はい。ありがとうございましたっ、幸鷹さん」



この日は朝から対である翡翠と神子と自分の三人で京を回り、木属性の怨霊退治に明け暮れた。

文字通り日はもう暮れ神子は帰路につく所だったのだが、幸鷹は人と会う約束があった為に翡翠に送り役を任せる事にしたのだ。



「また仕事かい?好きだねぇ」



翡翠はからかうように海色の瞳を片方伏せ、自分の唇に人差し指の節を当てて笑う。



「好き嫌いで仕事をしているのではありませんよ、翡翠殿。それより神子殿をちゃんと送り届けて下さいね」



貴方を捕らえるのも仕事の内ですが。という言葉を飲み込んで、幸鷹は念を押した。

神泉苑は夕方特有の茜色に染まり、冷たくなってきた風に撫でられた水面がきらきらと煌めく。



「はいはい。心配は無用だよ。私がこんな可愛い姫君を放ってなどおけないと知っているだろう?」

「ひ、翡翠さん…っ」



翡翠は神子の肩を抱き寄せ、にこりと人を食ったような笑顔を浮かべる。

女と見れば誰でもこんな調子の片割れに溜め息を吐き、幸鷹は翡翠の手を神子から引き剥がした。



「ある意味、だからこそ心配なのですがね。神子殿に妙な事をしてみなさい。二度と帰って来れないように島流しにしますよ」



引き剥がした手を強く握り、忠告するようにやや上にある翡翠の顔を睨む。



「ははは、怖い怖い。胆に命じておこう。…君も気をつけたまえ。最近は物騒だから」



翡翠はぱっと幸鷹の手からすり抜け、両肩を上げておどけてみせる。
少し間を置いてから真面目な表情で目配せをした翡翠に、幸鷹は皮肉も込めてこう告げた。



「あなたに心配される日が来るとは思いませんでしたよ。ご忠告感謝します。それでは」



仲間と別れ幸鷹は北西へと向かった。
幸鷹の目的地は朱雀門の向こうにある大内裏である。














「……失礼致します」



翡翠に吐いた溜め息とは種類の違うそれを長々と吐き捨て、幸鷹はある建物へと入る。



「───ッ、!?」



直後、幸鷹の背中に何かが激しくぶつかり、彼はバランスを崩してその場に前のめりに倒れ込んだ。



「おっと。失礼致しましたぁ、中納言殿」



ざまぁみろ。と聞こえてきそうな顔で心にもない謝罪をする、見慣れた男。確か今年任命された参議だったか。



「…いえ」



幸鷹は倒れた身体を起こし、転んだ拍子に外れた眼鏡を掛け直す。



「…!」



すると今度は別の男がその眼鏡を横から奪い、幸鷹の視界が再び霞む。



「何しに来たんですか?何処かと間違われていませんかぁ??」



眼鏡を奪った男はさっきの参議と同じように侮蔑や嫌悪といった感情を隠しもせず幸鷹に投げつける。



「……こちらで合っている筈です。内大臣殿に呼ばれて参りました」



幸鷹は眼鏡を奪い返し、視力を取り戻すと男たちを言葉で一蹴する。



「はぁ、左様でしたか。ではあの女房の後へ続いて『お渡り』下さい」



───わざとらしいことだ。
これだから帝の勢力圏は苦手なのですが…



幸鷹はもう一度溜め息を吐くと、案内役の女房の後を追う。



「…?」



奥へ案内される間に妙な事に気付いた。
女房がちらちらと此方を見てくるのだ。
その度顔を赤らめ、目が合えば「きゃぁ」と小さく悲鳴をあげる始末。

一体何なのだろうか。



「あの…」



気になって問いかけようとしたその刹那、女房の足が止まった。



「お待たせ致しました。此方でございます」

「ぁ、はい。ありがとうございます…」



完全に機会を失った幸鷹は視線の意味を問いかける事も出来ず、仕方なく案内された部屋の中へと入る。



「おぉ、幸鷹殿。突然呼び立てて済まない」



中にいたのは、関白でもあった亡き父の後釜として内大臣となった男。

彼は何かにつけて右大臣の兄や幸鷹を呼び出す。

しかし毎回断る訳にもいかない、更に仕事の多い兄は幸鷹に押しつけることが多い。

そうして結果的に幸鷹ばかりが内大臣の元へと行く羽目になっているのだ。



「いえ、お待たせしてしまったようで…申し訳ございません」



一礼してから謝罪する。
が元々幸鷹に付き合う道理はない。形だけの謝罪だ。






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