黄水晶の書棚(その他二次創作・一次創作)

□たまご侍、関で運命の出会いを果たす。
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時は流れて、宝暦十一年の神無月。
三年の長崎における蘭学留学を無事修めまして、鳴神兼定は齢十八の働き盛りとなっておりました。
さぁこれで故郷に錦を飾れると、喜び勇んで美濃国・加納藩の実家に帰ってきた鳴神。
母上は無論の事、弟も妹も従者も泣いて再会を喜んだのは言うまでもありません。
さてそれから数日後。これ以上ぶらぶら遊んでもおられませんので、そろそろ我が知識を存分に役に立てて御覧にいれようぞと求人高札を見に行っては、片っ端から面接を受けておったのですが……

「は?学者で武士?何だかよう分からんがうちは人手が足りておる故、他を当たるが良い」

「食材の知識だって?そりゃあいい。だったら料理屋にでも行くんだな!冷やかしなら帰っとくれ」

「へぇ、わざわざ長崎まで。悪いけどうちはこの通り青息吐息の小さな店でね、あんたが望むような高給は出せないよ」

「なに、お前さん程の文武両道ならもっといい所がそのうち見つかるさ。それを御祈りしとくよ」

連日連戦連敗。今回は御縁が無かったのでと落とされては、心にもない御祈りをされる毎日。
それもその筈。鳴神が学んできた栄養学は最先端過ぎて、まだまだ日ノ本に浸透していなかったのです。
江戸や大坂・京ならまだしも、ここは東海地方でも田舎の田舎。
ましてや尾張のように海もなければ、伊勢や駿河のような観光名所もない、山と川と城しかないような大田舎。それが当時の美濃国でありました。
「はぁ……全くどいつもこいつも分かっておらぬ!良いのだ。どうせあのような無個性のその他大勢の凡人共に、私の能力は活かせぬ故な!」
鳴神は帰宅するなり溜息をついて、ごろんと畳に転がりました。
「兄上、邪魔です」
「あ?石英丸よ、よくも兄に向かってそのような口が……」
鬱陶しそうに目線だけ上げると、既に十五を迎えて元服していた石英丸、改め九代目当主・鳴神兼晶(かねあき)の凛々しいお顔がありました。
「弟なれど、弟にあらず。今は私が当主ですよ?言葉にはお気を付け召されよ」
亡き父上より受け継いだ紋付の上着を羽織り、腕を組んで兄を見下ろしております。
「藩内雇用にこだわるから、見つかるものも見つからぬのです。一度美濃国を出てみては?」
しかし、助言のつもりで言った兼晶のこの一言が、鳴神の心の火打石をカチンと言わせてしまったからさぁ大変。
「成程、よぅく分かったぞ。お前はそう言って兄を追い出したいのだ。確かに家に銭ばかり使わせて、長崎くんだりまで行っておきながら禄一つ見つけられぬ恥晒しが寄生しておっては、翡翠姫の輿入れにも障ってくる故な!」
「兄上、何もそこまでは言ってないでしょう!そもそも兄上は卑怯に御座います。そうやって卑屈になれば、誰かが慰めてくれるだろうと甘ったれて!」
「言ったな……私より後に産まれた分際で!」
鳴神が、着物の袷から卵殻包鞘の脇差を出そうとしたその時です!

「静かにしなさい!小僧共!!!」

襖がスパーンと開かれ、道場で薙刀の指導を終えてお戻りになられたお豆の方様が入ってきました。
「菜種丸、これを」
お豆の方様は愛刀を従者に預けると、二人の御子息に歩み寄って、容赦ない拳骨を頭に落としたのです。
三年の御歳を召されても一向に衰えぬ、その武力と美貌に、御子息達は頭を押さえて蹲る事しか出来ませんでした。
「ぐっ……」
「母上……」
「何ですか、いい大人がみっともない!」
「違うんです母上!兄上が脇差を出そうとして……」
兼晶が弁明しようとするも、
「お前が怒らせるような事を言うからでしょう!母には全て聞こえておりましたよ!」
お豆の方様に斬り捨てられてしまいました。
「それから兼定!お前は御父上の守り刀を、あろう事か兼晶に向けようとしましたね!当主に刃を向けるなど、絶対にあってはならない事です!御父上が御存命であれば、切腹を申し付けていた所ですよ!」
本当に腹を切らせかねない母上の剣幕に、先程の勢いも失せ、平身低頭する兼晶。
鳴神もここで許しを乞えば、まだ母上のお怒りも和らぎましたものを、
「母上、承知仕りました。つまり私のような出来損ないは息子にあらず、出て失せろとこういう事ですね!言われなくとも!」
そんな捨て台詞を吐くと、愛刀の白脇差のみを携えて表戸から走り去ってしまったのでありました。
「兄上、早合点しなさるな!」
「放っておきなさい。あの食いしん坊の事です。夕餉時には帰ってきましょう」
後には、あわあわする弟とぴしゃりと襖を閉める母上が座敷に残されました………


さてこちらは、屋敷を去ってしまった鳴神兼定。
加納の天満宮様の前を突っ切り、御鮨街道に入ってそのまま長良川方面へ、足の向くまま走っておりますと、かつて旅立った川湊がある長良の川原町に来ておりました。
夕焼けは半分以上紫紺に染まり、もう日の暮れを迎えております。
旅館や料亭が立ち並ぶ町並みは、少しずつ灯りが入れられ夜の顔に変わっていきました。
川向こうでは鵜匠達が出勤し始め、その年の鵜飼納めを一目見ようと、橋の上には見物客が詰めかけております。
「ははぁ、あれが名高い長良の天領鵜飼か。捕れた鮎は天子様に献上されるというやつだな……」
鳴神はそんな独り言を言いましたが、何せ銭も持たずに飛び出してきた身の上。今宵食べる飯も寝る場所もままならない、まさに鵜飼の鵜以下の有り様でした。
帰って母上に両手をついて詫びれば良いものを、ここでそうしていてはこの物語も鳴神の成長も終わってしまいます。
すると天の助け。偶然眼に入った料理屋の軒先になんと『住込み奉公人急募』の貼紙が。
鳴神はもはや一も二も無く、面接を申し込んだのであります。
「頼もう!」
「何だい?今忙しいんだよ」
店の女中さんが、苛つきを隠そうともせずに答えました。
「面接をしたいのだ」
「面接?あぁ、表のアレね。あんた紙は持ってんのかい?」
「紙?懐紙がどうかしたか?」
「身分書き(履歴書)だよ!決まってんだろ!」
「それは……無い!」
「何が出来るかも分かんない奴雇ってどうしようってのさ!」
すると、そのやり取りを聞き付けたのか、奥の厨房から男性が出てきました。
「そうかい。だったらまずはお運びからやらせてみちゃあどうだい?」
「番頭さん……!しかしこんな素性も知れない男を……」
「こうしている間にも、お客様が待ってらっしゃるんだ。どんな馬鹿でも御膳を部屋にお運びするくらいは出来るだろう?」
「そりゃあ、人手が欲しいのは事実ですけどねぇ……」
「よし、そうと決まりゃ制服出してやんな」
そんなこんなで、料理屋での仕事が始まったのですが……

飲食店の厨房というものは、さながら戰場です。
ただでさえ時間に追われているのに、狭い動線をいつまでもうろうろしていれば「邪魔だ!」と蹴飛ばされ、仕事の流れを止めれば「何やっとるんや!」と怒鳴られ、丁稚が段取りを間違えれば、先輩に下駄で殴られる始末。
鳴神にもさっそく、板前さんからの指示が飛びます。
「新人、藤の間の焼物上がりだ。早く持って行け!」
「焼物?これをか?」
鳴神が手にしたのは、茶碗の方の焼物。板前さんが言っているのは言わずもがな、料理の焼物でした。
「馬鹿!この岩魚の焼いたやつだよ!本当にお前はアレだな、話通じねぇな!」
言葉を濁されたのが人格を否定されたと感じたのか、なんと鳴神……
「無礼者め!!!」
手に持っていた茶碗を叩き割り、板前さんに食って掛かったもんだから大変です。
「お前……店の備品になんて事を!」
突然眼の前で大事な什器をぶち割られ、板前さんが青い顔で震えています。
「『アレ』とは何だ。それは下民語か?済まぬが良う聞こえなんだ。私は武家の生まれ故、身分の卑しき者共の言葉は分からぬのでな。しかと日ノ本の言葉で!もう一遍申してみよ!」
板前さんの胸ぐらを掴んで凄めば、もう後はお分かりでしょう。
暇を出されて追い出されるまで、僅か半刻(一時間)の出来事でした………


騒ぎを聞きつけた番頭さんが御奉行様に通報し、鳴神は割った茶碗の弁償を命じられた上でこってり絞られてから、加納の親元に帰されました。
「若様、遂にやらかしてくれましたな!」
菜種丸がぷりぷり怒って小言を言うのを、鳴神は何の口答えもせず神妙な顔で聞いております。
「かつて厨番衆にさんざん叱られた経験を、もう忘れたのですか?幾ら暴言を吐かれたとて、物を壊す馬鹿がおりますか!あまつさえ他人様に御迷惑をかけて!」
幼い頃の『事件』以来、母上は怒りを露わにして鳴神を叱責しました。
「お茶碗は母が立て替えておきます代わりに、お前には暫し謹慎を申し付けます!」

その昔父上が寝起きしていた四畳半の奥座敷に押し込められ、鳴神は布団も敷かずごろんとしておりました。
「えぇいくそ、面白くない!どいつもこいつも私を蔑ろにしおって!私は加納藩の殿様から御墨付きを受けた特待生であるぞ!私の能力を殺すは、美濃国、ひいては日ノ本の大損失なのだぞ……!」
腹を立てれば余計に腹が減り、体は血糖値を上げようと頭に血を上らせ、それでまた更に腹が立つという悪循環に陥っております鳴神兼定。
おまけに夕餉を食べ損ねたので、腹の虫が悲鳴を上げます。
「……何が『武士は食わねど高楊枝』だ。そんなもの腹の足しにもならぬわ。あぁ長崎にいた頃は良かった。いっその事帰ってなどこず、向こうで身を立てておれば……」
このまま眠ってしまおうと瞼を閉じた時です。
「兄上、兄上」
可愛らしい呼び声が襖の向こうから聞こえ、とんとんと叩く音がしました。
「おぉ、翡翠姫。可愛い妹よ!」
八つになった妹は、口数も増えておしゃまになり、愛らしい少女になっておりました。
鳴神が開けてやると、翡翠姫がこっそり入ってきて傍らの箱膳を差し出しました。
「ごめんね、母上には翡翠が喋っちゃった事、内緒にしといてね。母上、本当は兄上が心配なのよ。『お腹空いてたら食べなさい』だって」
箱膳には、拳大の握り飯が二つに、沢庵と川魚の佃煮を添えた夜食が収められているではありませんか。
「それと、水分もね」
翡翠姫が、竹の水筒に入れたお茶までくれました。
そうです。厳しく打ち据えてもやはり血の繋がった母上。
御子息に面と向かって言うのはお互いに意地というものも御座いますので、お互いが最も話しやすい末娘を偵察部隊にして、様子を窺っていたのです。
「済まない翡翠よ。私がつまらぬ意地を張ったばかりに、密偵のような行ないをさせて……」
「何で?書物に出てくる忍みたいで、翡翠は楽しゅうございます。あのね、信州のおばば様がお正月に里見八犬伝の写本を贈ってくれてね……」
翡翠姫の何物にも毒されていない純な笑顔を見ると、鳴神は不甲斐なさで胸が潰れそうでした。
(そうだ。父上は『誰に恥じる事もなく納得のいく生き方をせよ』と仰っていたではないか。だというのに今の私はまるで何だ……!)
鳴神は握り飯を引っ掴むと、先に佃煮を口に含んで米をわしわしと咀嚼しました。
(うまい……碌に働いてもおらぬ癖に腹だけは減り、仕事は何一つ続かず、家族に寄生して三度の飯だけは律儀に食わせて貰っておる始末。うまくてそれが情けない……!)
食べているうちに涙もぽろぽろ溢れてきましたが、もはや鳴神にそれを拭う余裕はありませんでした。
「兄上、大丈夫よ」
八つの妹は驚きも馬鹿にしたりもせず、ただ静かに長兄に寄り添っておりました………
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