黄水晶の書棚(その他二次創作・一次創作)

□たまご侍、旅に出る。
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時は宝暦八年、皐月の月。
江戸幕府の命により、美濃国、引いては友好関係にあった薩摩藩も巻き込んでの国家的事業『宝暦治水』が達成されてから、早くも三年が経過していた。
降雨の度に水嵩を増して暴れ狂い大水害をもたらしていた長良の大川は、長良川と揖斐川の二本に分流され、後に尾張国の木曽川を加えて『木曽三川』と讃えられる清流に生まれ変わった。
金華山の麓にある長良三郷(現在の長良橋通り)には物資や人を受け入れる川湊が築かれ、水運業が飛躍的に発展した。
長良川は最終的に伊勢湾付近で木曽川と合流する為、お伊勢参りまでの最短経路が開かれたのだ。
それにより、今まで庶民は馬を走らせるか五街道を歩き通すしかなかったのが、銭のある商人などは船頭を雇い、伊勢街道に程近い尾張名古屋に入るまでの間、渡し船での優雅な旅と洒落込めるようになった。
そしてその川湊から、今まさに広い世界を見聞きするべく、齢十五の青年が旅立とうとしていた………


「稲荷丸や。武家の子たるもの、決して一度決めた事を中途半端に終えてはなりませぬよ」
青年の母・お豆の方が、旅立つ前の息子に説いている。
「そなたの名は『意成り』の言霊にあやかって、千代保の稲荷神様よりお借りした尊きお名前です。稲荷神様や御先祖様に恥じないよう一所懸命に励み、立派に志をお果たしなさい。そして、知識を蓄えても偉ぶってはなりませぬ。よく実った稲穂ほど、頭を垂れるものです。他人様には常に謙虚でありなさい」
「心得まして御座います、母上。必ずや長崎で立派な学者となれるよう、精進努力致します!」
瞳を金剛石のように輝かせて、稲荷丸は母上に誓った。
「若様、長崎に着いたら必ずその日の内に文を書いて送る事、努々忘れてはなりませんよ!あちらでは御自分の事は全て御自分でしなければならないのです!真に分かってますか?やっぱりわっちもお供した方が……!」
「くどいぞ菜種丸。私の事より母上と弟妹の身の回りの事を心配せい。父上亡き今、成人の男手はそなたしかおらぬのだ。しかと頼んだぞ」
心配性の従者の肩を、強めに叩いて落ち着かせる稲荷丸。
菜種丸は子沢山農家の五男坊だった為に十で口減らし奉公に出され、稲荷丸が赤子の頃より御家に仕えてきた忠臣である。
問題児で散々手を焼かされてきた若君が、産まれて初めて伴の一人も付けずに出立するのだ。もしも向こうで何某かの御無礼をしたらと思うと、とても平常心でなどいられなかった。
「待ちなさい。旅立ちの前にこれを……」
母上が着物の袷から、刀袋を取り出して稲荷丸の手に握らせた。
中身を検めた稲荷丸の顔に、驚きが浮かぶ。
漆黒の蝋色塗鞘に納められた、立派な打刀。
白い鶏卵の殻を砕いて鞘にモザイクタイルのように散りばめた、『卵殻包鞘』と呼ばれる珍しい拵の脇差。
「これは、亡き父上の脇差……!私如きが勿体のう御座います!」
「何を申しますか。本来ならば、そなたが持っていて初めて意味を成すのです。この脇差を託す事が、母なりの元服の儀と心得なさい。稲荷丸、いいえ……鳴神兼定!」


鳴神家は先代当主・鳴神兼元の病没により石高を縮小されたとはいえ、かつては斎藤道三にも仕えた名家であった。
父上が亡くなってからというもの、信濃の大豪族・小木曽家を祖に持つ母上には気品と教養があった為、格のある家々に呼ばれては教育係として茶の湯・和歌・武芸の教鞭を執り、子供達を学問所まで出してくれた。
『本家筋の誰ぞに家督を継がせるからお前は出ていけ』と親戚連中に圧をかけられても、母上は
『稲荷丸こそが正当な当主。鳴神家の血と財を食い潰す事はさせませぬ!』
と、いつも矢面に立って子供達を守っていたのだ。
だから稲荷丸は、そのように苦労ばかりしてきた母上に、一日でも速く楽をさせてあげたかった。
その為には、一度美濃国を出て大きく学び、武芸の他に学問で身を立てる必要があると考えたのだ。
稲荷丸が最初にその決心を告げた時、真っ先に反対したのは菜種丸であった。
『若様、何を仰います!長崎は異人が我が物顔で市井を歩く、恐ろしい所だと聞いております。もしも若様が人攫いに拐かされて、異国に売り飛ばされでもしたら、お豆の方様はどんなに悲しまれるか!とにかく絶対に駄目です!』
『ははは、良いなそれ。長崎よりも遥かに楽しき経験が出来そうだ』
『若様!鳴神家の御嫡男ともあろう御方が、そのような事を軽々しく口にしてはなりませぬ!』
しかし、そんな言い合いをする若君と従者に母上は

『別によいではないですか。異国で死んだとしてもそれが神様の御定めならば、この子も諦めがつくでしょう。それよりも狭い故郷に生涯引き籠もって死ぬ方が、余程この世に生まれてきた甲斐がないというものです』

そう言って黙らせ、また背中を押した。

『お豆の方様、稲荷丸様はまだ齢十三。元服の儀も済んでおりませぬ故、流石に危のう御座います!』
『だから何だと言うのです。昔の人も『可愛い子は家から蹴り出せ』と言うておるでしょう。経験を積ませるには若ければ若い程良いのです』
それを言うなら『可愛い子には旅をさせよ』なのだが、従者が御方様に突っ込みなど出来る筈がない。
そのような経緯で『十五の齢まで決意が揺るがなければ蘭学留学を許す』という条件で、学問所を出てからの更に二年間、地元の本草学者に師事して勉学に励んだ末、加納藩のお殿様からの御墨付きも無事に頂き、遂にその時が訪れたという訳である………


「兄上の留守中、母上と妹は俺が御守り致します。どうかお達者で!」
「あにうえーーー!」
三つ下の弟・石英丸と、まだ五つの妹・翡翠姫の見送る声が、渡し船から次第に遠ざかっていく。
これから長良川を出て尾張の木曽川経由で名古屋の湊に入り、伊勢街道をひたすら西に歩いて大坂を目指し、堺で大型船に乗り換えて瀬戸内海を超え、おおよそ百日にも渡る長崎までの旅が始まるのだ。
さて、元服により合法的に名字帯刀を許された稲荷丸改め鳴神兼定は、生まれて初めての船旅に胸を高鳴らせていた。
「これ船頭、もっと速度を出せぬか?」
「勘弁しとくんせぇなお武家様。これでも全速力でさぁ。なぁに、わっちの剛腕を以てすればあと十日の後には木曽川に入れますで、のんびりしちょってくんせぇ」
面倒な客には慣れているのか、船頭もあっさりと答えを返す。
(二年待った甲斐があったぞ!これで私もようやく、長崎で最先端の薬膳学や栄養学を学べるのだ……!)
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