黄水晶の書棚(その他二次創作・一次創作)

□異説・銀河鉄道の夜 〜僕が彼を虐める理由〜
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「………これがつまり、今日の銀河の説なのです。その中の様々の星についてはもうお時間ですからこの次の理科の時間にお話します。今宵は星祭りですから、皆さんは外に出てよく星空をご覧なさい。それが今日の宿題とします。ではここまで。本やノートをお仕舞いなさい」
教室中はしばらく、机の蓋を開けたり閉めたり本を重ねたりする音がいっぱいでしたが、まもなく皆はきちんと立って先生に礼をすると教室を出ました。


年に一度の『ケンタウル祭』の日だった為、午后の授業もいつもより早く終わりました。
これから生徒達は各々の家に帰り、飾り付けのお手伝いをしたり、牛乳屋さんに明日の分の牛乳をいつもより早めに貰いに行ったりするのです。
カムパネルラやザネリをはじめとする教室の友達が7,8人程、校庭の隅に集まって烏瓜の灯りを作る相談をしているのを見ないふりして、ジョバンニは何事もないかのように通り過ぎようとしました。
それに気付いた心優しきカムパネルラが、ザネリに耳打ちします。
「ねぇ、やっぱりジョバンニも誘ってやろうよ。こう毎日、印刷所のアルバイトとお母様の介護の繰り返しじゃ倒れてしまうよ……」
しかしザネリはジョバンニにわざと聞こえるように、あの悪口を言いました。
「ジョバンニ!お父さんから、らっこの上着はもう届いたの?」
それを合図に他の子供達も、馬鹿にするようにクスクス笑ってみせたり或いはばつが悪そうに下を向いたりしていました。
ジョバンニは顔をかっと熱くして、もうむちゃくちゃに印刷所まで走っていってしまいました。
カムパネルラは我慢ならなくなって、ついにザネリに詰め寄りました。
「君、なんだってあんな質の悪い悪口を言うんだい?昔は僕らは兄弟の仲だったじゃないか!あんなにジョバンニのお父様にも良くして頂いたのを忘れたのかい!」
ザネリの子分でしょうか。さっきまでクスクス笑っていた男の子も、しゅんとした顔で続きます。
「ザネリさん、俺っちもそろそろ我慢できないです。昔はあんな風じゃなかったのに、何がザネリさんを変えちまったんですか?」
ザネリも勿論、本心や差別心で言っている訳ではありませんでした。
むしろ、心友を守る為にザネリはたった独りで嫌われ者の道化を演じ、パフォーマンスをしていたのです。
「仕方ないだろ……大地主の息子である僕が彼を虐めないと、ジョバンニはもっと格下の取るに足らない連中に眼を付けられて、今よりもっと酷い仕打ちを受けてしまうだろう。それ程までに、世間の眼というものは恐ろしいんだよぅ……」


そもそもザネリは、昔からジョバンニと仲が悪かった訳ではありませんでした。
ザネリのお父上は街一番の大地主で、教育にも力を入れている人格者でした。
カムパネルラのお父様は都の大学で生物学や工学を教えている博士で、珍しい大きな蟹の甲羅の剥製だの、アルコールランプで線路を走る機関車の模型だのを、学校に寄贈した事もありました。
ジョバンニのお父さんだって、国営の『貝の火鉱山』でオパァルの採掘や研究をしていた鉱物学者だったのです。
地質調査でお父さんが偶然見つけて学校の標本室に寄付した大きなトナカイの角を、6年生の生徒が『すごい』『かっこいい』と褒めそやしていたのは、ジョバンニのささやかな自慢でした。
こんな具合に父親同士が昔からよく遊びつるんだ関係だったので、息子達も物心付くか付かないかのうちに、自然と仲良くなっておりました。
ジョバンニがお父さんと山に出かけては拾い集めた水晶だの柘榴石だのを収めた標本箱を、ザネリはいつも瞳を輝かせて見せてもらっていたのです。
ところがジョバンニが5年生に上がった年の夏は、酷く大雨が続きました。
地盤の緩んだ貝の火鉱山で崩落事故があり、山は跡形も無い程めちゃくちゃに崩れ、お国も最早オパァルどころではないと閉山を決断されたのです。
お雇い研究者だったお父さんは御払い箱となり、家族を養う為に、身分こそ低いが手早く稼げると噂のらっこ猟師に転職し、致し方無く冬の過酷なベーリング海行きの船に乗り込んだのでした。
すると間もなく、ジョバンニのお父さんの仕事を揶揄する嫌な輩が出てきました。
『血なまぐさい動物殺し!』
『らっこ採りの子!』
『石で稼いで、今度は毛皮か。学者様ってのは随分と羽振りが良いな!』
しかも、ジョバンニのお父さんのお陰で貝の火鉱山で飯を食っていられた鉱夫の子供達が先頭に言い始めたのです。
ザネリはそれを聞くや怒り狂い、一人ずつ呼び出しては
『貴様ら如きが何様のつもりだ。たかが鉱山の下働きの子だろう。貴様の身分如きでジョバンニのお父上に並び立つには、よだかの星の青い炎で百ぺん体を灼いても足りないくらいだ。次にあの父子を貶めた日が、貴様の命日と思え!』
と、分からせていきました。
そうしていくうちに、ジョバンニに『らっこの上着』の悪口を言うのは、学校でも街でもザネリ一人だけとなりました。
学校ともだちの中で、ザネリに逆らえる者など誰も居ませんでしたので、段々とジョバンニは『大地主の馬鹿息子に虐められている気の毒な子』という図式になっていき、誰も表立ってからかう事はなくなったのです。


ザネリの話を、カムパネルラは黙って聞いていました。
「ごめんよザネリ。君もつらかったんだね……」
「大衆は、身分のあった人が一度没落すると、今度は掌を返して何をしてもいいと思い込むようになる。有名人なんだから、裕福なんだから、顔や頭が良いから、自分より恵まれてるから、恵まれてない自分には攻撃する権利があるんだという歪んだ鏡に、心を写し込まれてしまうんだ。最悪の場合は相手を死に追い込んでまでも、寄って集って引きずり落として、己の歪んだ正義を示そうとする。本来ならば相手も血の通った人間なのにだよ……!」
ザネリのお父上もまた、決して綺麗事ばかりで街を治めてきた訳ではありませんでした。
思えばザネリは、お父上が自分の家族やジョバンニのお父さんやカムパネルラのお父様の他に、自分のお部屋に人を入れたのを見た事がありません。
恐らく、そういった信用のおける人達以外は全て敵だと思っていたに違いありませんでした。
「カムパネルラ、昔ジョバンニがしてくれたベゴ石の話を憶えているかい?」
「あぁ、お人好しの火山岩が苔に様々な悪口を言われるんだけど、一向に気にしなかったって話だね」
「そう。そして最期にその忌々しい苔共は、地質学者の手で毟り取られる。ベゴ石は一切傷付かず、つるつるのままでね。僕はねぇカムパネルラ、ジョバンニにとってのその『手』になりたいと思うんだ。つまらない事を言ってあいつを傷付ける奴らは、僕が全て摘み取ってやる。それが僕にしてやれる事だ……」
それが、まだ幼いザネリにとっては心友の誇りを守れる唯一の手段なのだと、カムパネルラは感じました。
ザネリはジョバンニにあの悪口を言う事で、その他の取るに足らない俗物を『ジョバンニは貴様ら如きが蔑んでいい相手ではない!』と遠ざけていたのです。
そしてそれは、大地主の息子という身分に産まれた彼にしか出来ない事でした。
「分かったよザネリ。でもそれだけじゃないだろう?君が嫌われ役を買ってでもジョバンニを守りたいのは……」
「やっぱりカムパネルラに隠し事は出来ないな。全く勘の良いガキめ………そうだよ。僕はジョバンニの事が好きだ……」
ジョバンニ親子がザネリに見せてくれた石達の煌めきは、ザネリにとって心を未知の世界に連れて行ってくれた煌めきそのものでした。
シトリンは太陽のようにぴかぴか透き通り、クリソプレーズは唐松の生えた山の稜線のようにうるうる盛り上がり、ターコイズは果てしない青空。
甘く蕩けそうな赤柘榴石や葡萄の雫のようなアメジストは、素晴らしいご馳走。
そしてプリオシン海岸に落ちていた虫入り琥珀や胡桃の化石は、さながら地球のタイムカプセルでした。
貝の火鉱山が崩落したと聞いた時、ザネリのお父上の大地主様は非常に心を痛められて、ジョバンニのお父さんに様々な支援を申し出ました。
しかし、お父さんにも男としてのプライドはありました。
また鉱物学者の働き口を紹介してくれようとした大地主様の厚意すら、丁重にお断りしてらっこ猟師を選んだのです。
誰の迷惑にもならず、自分独りで家族を養おうと。
しかし現実はどうでしょう。夫が何ヶ月も帰ってこない生活でジョバンニのお母さんは病気がちになってしまい、お姉さんもまだ幼いジョバンニもアルバイトをして何とか暮らしていけてる始末です。
しかし大地主様は、そんな心友を決して嘲笑ったりはしませんでした。
『友だからこそ、互いに借財などはしたくない。』という鉱物学者の意思を、誰よりも理解し納得していたからです。
全くそういう所は、ジョバンニもザネリも父親譲りでした。
だからこそ、自分が嫌われてでもジョバンニを守りたいと思いました。
お父上達のような、金剛石のように偽りなく透明で、決して壊れない絆で結ばれた関係になりたいとザネリは願ったのです。

街の中央の丘に立つ時計塔が、午后3時の鐘を打ちました。

「天気輪の柱が鳴ったぞ。銀河ステーションから最後の列車が出たんだ。もうそんな時刻か」
「速く烏瓜を採りに行かないと、暗くなってしまうぜ。お祭りに間に合わなくなるよ」
「僕は帰りに牛乳屋に寄れと言い付かっていたんだ。おっかさんに怒られちゃう」
子供達の中の数人がそう言い合うのを合図に、ザネリも顔を上げました。
「お前達は先に行っていてくれ。僕はカムパネルラと寄る所がある」
ザネリが子分の子達にそう言い渡すと、カムパネルラが頷きました。
「ザネリ、今度こそ君はほんとうの事をジョバンニに話して、君のほんとうの幸いを見つけなければいけない」
カムパネルラに背中を押され、瞳をあの時の水晶のように輝かせてザネリは力強く言いました。
今頃ジョバンニは、勤め先に向かって、電気会社の前に立つぴかぴか装飾を施されたプラタナスの木や時計店の宝石で出来たふくろうなど、眼に入らないふりをして寂しそうに歩いている頃でしょう。
ザネリは、もう二度と好きな人にそんな顔はさせたくありませんでした。

「活版印刷所に、ジョバンニを迎えに行くぞ!」

何処からか風に乗って「ケンタウルス、露を降らせ!」という元気な声が響いてきました………


【完】
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