黄水晶の書棚(その他二次創作・一次創作)

□異説・注文の多い料理店〜山猫達は今日も忙しい〜
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だいぶ山奥に一軒だけある西洋風の立派な建物の、正面玄関に取り付けられた硝子戸の鍵穴から、若い山猫が青い瞳をきょろきょろさせて相棒にこんな事を言っていました。
「ぜんたい、猫神族も落ちぶれたもんだね。かつては、こんな人間の洋食屋の真似事をしなくても、食料なんざ向こうからやって来てくれたというのに」
「全くだ。何が『リストランテ山猫軒』だよ。親分ときたら、わざわざ瀬戸の煉瓦まで取り寄せてロシア式に仕上げたと言うぜ」
「だけども昨今は、西洋近代化だか何だか知らないけど人間共がばかに知恵を付けてきたせいで、今どき神様だの何だの言っても誰も信じやしないよ」
「全く世知辛い話だねぇ。お猫様は可愛がられるのが仕事だと言うのに汗水垂らさねばならんとは…」
「それに引き換え昔は良かったよ。年に一度捧げられる生娘の、甘くコリコリした肉といったら!」
「美少年も出ていたねぇ。性の喜びを知らないおぼこい男の子の血は、美酒にも勝る甘露だったよ……と、もうこの話は辞めよう。悲しくなる」
「そうだね。今この瞬間を大事にしないと…」
さて、皆さんもエジプトのバステト神などでご承知の通り、猫というものは古来より神として崇められて参りました。
ある時は鼠を捕まえて田畑を守り、またある時は己の愛らしさを最大限に活用して商家に客を招いたり、果ては『猫に小判』なんて諺まで作られてそれはそれは大切にされてきました。
この二匹の山猫も、そんな猫神に仕える眷族だったのでございます。
その日は朝から酷い大風でした。時折思い出したようにどうと吹いてきては、草をざわざわ、木の葉をかさかさ、木をごとんごとんと揺らしていきました。
こんな日にわざわざ、それも山奥の名も知らぬ西洋料理店なんぞに好き好んで外食に来る者など、まず居ないでしょう。
そんな事は、山猫達もよく分かっていました。
分かっているにも関わらず、上司にして主である猫神に逆らう訳にもいかないので、こうして朝から獲物を待ち構えていたのです………


どのくらい時が経ったでしょうか。
日がだいぶ傾いた頃、山鳥が飛び立つ音にびっくりして山猫達が目を覚ましました。
「まずいな、昼寝をしてしまっていた!」
「仕方ないさ。猫だもの…」
相棒はまだ眠たそうに、口の中でうにゃうにゃと言っています。
「それより君、山鳥が驚いたという事はつまり、この山に人間が入ってきたんじゃないか?」
「まさか。外はこの大風だぜ?わざわざ遭難しに来るような酔狂者が居る訳……い……居る!人間だ!それも二人もいるぜ!」
鍵穴から外の世界を覗き見た相棒が、驚きで髭をぴんと伸ばして声を上げました。
山猫もそれにつられて鍵穴を見てみますと、確かに英国の兵隊のような格好でぴかぴかの鉄砲を担いだ、二人の若い紳士がこちらに向かって歩いてくるのが見えたのです。
「しかも、太った奴と若い奴!やったぞ相棒、こいつは大ご馳走だ!しかし鹿撃ちに来たにしては、猟犬も案内役の猟師も見当たらないな」
「おおかた途中ではぐれたんだろう。引き返せば良かったのに突っ込んでくるは、山を舐めてかかってる証拠さ。上手い事こちらに入ってくるよう仕向けるんだぜ。逃したら僕らの責任になっちまう」
「これだから都会の人間は、いいお客様だよ」
ところがそんな山猫達の願いが通じたのか、紳士達は吸い寄せられるかの如く正面玄関の前で立ち止まりました。
こんな話し声まで聞こえてきます。

「君、丁度いい。ここはこれで中々ひらけてるんだ。入ろうじゃないか」
「おや、こんな所におかしいね。しかしとにかく何か食事ができるんだろう」
「勿論できるさ。看板にそう書いてあるじゃないか」
「入ろうじゃないか。僕はもう何か食べたくて倒れそうなんだ」

山猫達は大喜びしました。
「なんておめでたい奴らだ。料理されて食事になるのは自分達の方とも知らずに」
「君、余計な事は言いっこなしだぜ。何事も始めが肝心というだろう」
「それもそうだな。よし、早速下拵えに入ろうじゃないか」
「あぁ、その為にまずは邪魔な身ぐるみを剥いでしまわないとな…」
山猫達は青い瞳をスタァサファイアのように光らせて、互いににやりと笑いました………


ところで硝子の開き戸には、金文字でこう書いてありました。

『どなたもどうかお入りください。けっしてご遠慮はありません』

「このうちは料理店だけれども、ただでご馳走するんだぜ」
「どうもそうらしい。決してご遠慮はありませんというのはその意味だ」

紳士達が脳天気な事を言っているので、山猫共は笑いを噛み殺すのにもう大変でした。
「確かにお金は要らないさ。だってお代はお前達の『命』そのものなんだから」
「どの世の中にも、うまい話なんてありゃしないぜ」

紳士達が廊下をずんずん進んでいきますと、水色の扉に黄色の文字でこう書いてありました。

『当軒は注文の多い料理店ですからどうかそこはご承知ください』

「これはぜんたいどういう事だ」
「これはきっと、注文があまり多くて支度が手間取るけれどもごめんくださいと、こういう事だ」
「そうだろう。早くどこかの部屋に入りたいもんだな」
「そしてテーブルに座りたいもんだな」

紳士達が鏡の部屋で髪を櫛けずって靴の泥を落とすまでの間、山猫は苛々しておりました。
「ぶつぶつとうるさい奴らだな。速く塩もみにされてしまえ」
相棒の山猫が、冷静沈着に宥めます。
「まぁそうカリカリするなぃ。うちはセルフサァビスだからね。自分で自分を下拵えしていたのに気付いて絶望するまでがフルコースって訳さ」
「成程ね。親分も大層なご趣味してるよ」
「腹が立つのは腹が減ってるからさ。これ良かったら」
「ありがとう。君は実に用意周到な相棒だ」
相棒が小腹満たしをくれたので、山猫は肉球で器用に摘んでカリカリと食べました。
狐色をしたスナックの外殻から、中身がとろりと零れて口いっぱいに広がります。
「美味いねこれ、乾酪入りか。どうやってこんな上物を手に入れたんだ?」
「西洋風に言うと『チィズ』だな。君は無駄遣いが過ぎるんだよ。すぐに舶来のウイスキィだのやまなし酒だので散財する。少しは貯金した方がいいぜ」

紳士達が黒い扉の部屋で帽子とオーバーコートと靴を脱ぎ、靴下の足でぺたぺたと黒塗りの金庫がある部屋へ入りました。
勿論、扉の裏側には『注文』が書いてございます。

『ネクタイピン、カフスボタン、眼鏡、財布、その他金物類、ことに尖ったものは、みんなここに置いてください』

「ははぁ、何かの料理に電気を使うと見えるね。金気の物やとがった物は危ないと、こう言うんだろう」
「そうだろう。してみると勘定は帰りにここで払うのだろうか?」

紳士達の会話には、山猫も少し思う所がありました。
「そういえば、あれは何だい?そんな事わざわざ書かずとも分かりそうなもんなのに」
相棒の山猫が、鼻先に薄荷の葉っぱを嗅がされた時のように、顔をしかめて答えました。
「あぁ、君が赴任してくる前に、煮込み料理担当のシェフが『食材』を捌こうとしたら、舌と臍にピアスを付けていやがった奴が居たんだ。お陰で僕と君の前任者が、上役に大目玉を喰らったよ。『貴様らの眼は節穴か。猫神様のお膳に異物が混入していたら、どう責任を取るつもりだ!』ってね…」
「一応は飲食店だから、衛生管理にはうるさいって訳だ。それにしても舌にピアスだなんて人間は野蛮だな。僕だったらそんなタンシチューを出されたら店を訴えてるよ」
「そんな事より君、クリームの準備はしてあるのかぃ?体用と耳用の二段構えだ。抜かるなよ」
「君も心配性だな。僕がそんな粗忽をすると思うかい?」

山猫共がそんなやり取りをしている間、紳士達は丁度、長い廊下をぺたぺたと歩いて牛乳クリームの硝子壺がある部屋に入ろうとしておりました………
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