魔法石の保管庫(チェリまほ)

□お稲荷カフェの黒沢さんI
1ページ/5ページ

立冬を過ぎると、飲食店は稼ぎ時の年末年始に向けて一気に仕事が増える。
「オープンしてから初めてのクリスマスだから楽しみだな。どんなコンセプトにしよう」
あれこれ空想を巡らせながら、厨房で夜営業用の仕込みをしていた時だった。
作業の邪魔になる為カウンターに投げておいたスマホが、振動で着信が来たのを伝えている。
「志摩からだ。もしもし?」
志摩は、この町で代々経営している喫茶店の3代目だ。
親友ではあるが、しばしば新メニューの試食などと銘打ってうちの稲荷神様を誘惑してくるもんだから、頭の痛い存在でもある。
『黒沢、仕込み中に悪いな。実はとある『お客様』に、お前んとこの店を紹介した。お話だけでも聞いてやってくれないか?』
「別に構わないけど、どんな人?」
志摩が語った内容は、こうだった………


ここ2ヶ月程、志摩の店に訪れていた女性客。
『藤崎さん』と名乗る彼女は、ストレートの黒髪を持つ凛とした雰囲気の美しい人だという。
服装にも決して派手さはないが、シンプルで洗練された材質で彼女の愛らしさを引き立てていた。
藤崎さんは決まって閉店間際の15時頃に来店し、いつもみかんサンドと珈琲のセットを注文していた。
ちなみに志摩家謹製のみかんサンドは、食パン2枚に対して温州みかんを丸ごと5個も使っており、切るとゆで小豆と生クリームにしっかり固定されたみかんの美しい断面が現れる超豪華版だ。
しかし、美味しそうに食べていた最初の頃に比べて、ここ最近は見るからに元気が無かったという。
そして今日、ついに「お仕事大変なんですか?」と心配して声をかけた志摩に対し、ぽつりとこんな発言をしたそうだ。

『仕事というか、最近色々生き辛くて…』

その時、祖母の形見のピアスがかっと熱を持ち、志摩に藤崎さんの『正体』をさり気なく教えた。
祖母がくれた守り石をピアスに加工してあるそれは、着けていると主に人間と神霊を見破る力を授けてくれるのだ。
『成程。そういう事か………藤崎様、もし宜しければ僕の友人のお店を紹介しましょうか?』
『えっ…?』
『藤崎様が抱える生き辛さの正体、恐らく彼らならお力になれると思います』
そう言って、志摩はうちの店を紹介した………


『勝手にすまん。しかし清くんや酒呑童子にしか対処出来ない案件である事も事実だ。俺は守り石を持っているとはいえ、ただの人間だからな…』
本当にただ『見る事が出来る』だけで、見えた相手をどうこうする力はない。だからお前達が頼りなんだと、志摩は申し訳なさげに告げた。
「成程、分かった。でも一個だけいいか?」
『親友に頼み難い事をお願いしたんだ。何でも聞くよ』
「今後もそういうお客様が来たら………うちに回してくれない?」
『販路拡大ってやつか。勿論いいぜ。うちも助かるしな』
「なら良し」
『しかしお前も、しっかりしてきたなぁ。昔は親が資産家だからってお金や仕事に執着してなかったのに…』
「『お店を守りたいなら気合い入れて働け』って、清に言われてね。えへへ♡」
『惚気話ならまた今度な。じゃあ頼むわ』
「うん。またな」
お互いにまだ仕事が残っているので、通話を終了した。


「ぬし様ー」
スマホを切ったタイミングで、黒狐がとことこと厨房に入ってきた。
「藤の花って、春から夏にかけてだよな?」
「そうだけど、何で?」
清が『こっちへ来い』と言わんばかりにコックコートの裾を引っ張るので、祠と湧水がある裏庭までついて行った。


「咲いてる……!!?」

藤棚もなく、かなりの古木と見られる雄株と雌株が一つに絡まり合って裏庭の隅に立っているだけだが、紛れもなくそれは藤の花だった。
11月にも関わらず、そこだけ春が来たかのように、優しい紫色の花房が枝ぶりから瑞々しく下がっている。
藤は温暖な気候を好むマメ科の植物であり、寒い時季には咲かない筈だ。
「最初は、ただの狂い咲きかと思ったんだ。でも違うっぽくて…」
「黒沢さん、これ見てください」
六角が、仕事用のタブレット端末でネットニュースを見せてくれた。
その記事は『各地の公園や庭園で藤棚が枯れる被害が相次いでいる』という内容だった。
最初は悪戯目的だろうと思われていたが、現場には薬剤を撒いたような痕跡もなく、専門家は伝染病の疑いもあるとして調査を進めているそうだ。
「うちは神域だから、怪異の影響はまず受けない。でも他所が枯れててうちだけ咲き誇ってるってのが、どうしても気になってな…」
むむ……と考え込む黒狐に、六角が声をかけた。
「俺っちは急いで、知り合いの木龍神に最近変わった事がないか訊いてきます!」
木龍神とは、植物を司る青龍童子が龍神に昇格した神霊である。
酒呑童子は高く跳躍すると、家々の屋根を飛び移りあっという間に見えなくなった。
「あっちは六角に任せて、そろそろ俺達も開店準備しようか」
「はーい」
六角はお調子者だが、決して愚かではない。
必ず何かお土産となる情報を持ち帰ってくる筈だと、今は信じる他なかった………
次へ
前の章へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ