魔法石の保管庫(チェリまほ)

□バーメイド・ウィザード11
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造り酒屋の正月は、7月1日と言われている。
田植えが始まる頃に蔵開きをし、道具の手入れや麹菌の育成をしながら新米を受け入れる準備をするのだ。
稲刈りが終わればいよいよ『寒造り』と呼ばれる仕込み作業。気温が上がり過ぎず麹菌も安定している冬は、蔵が最も忙しくなる。
そして春にようやく新酒の季節を迎える訳だが、実は日本酒にはもう一つの旬がある。
傷まないように火入れした新酒を夏が過ぎるまで冷却保存した、所謂『冷やおろし』と呼ばれる品種である。
ちなみに9月に出始める冷やおろしを『夏越(なごし)』、10月以降は『秋上がり』と言うらしい。


仕事帰りに『魔女の家』に立ち寄ったら、運悪く上司に出くわした。
朝比奈さんは相変わらず、日本酒ベースのカクテルを好んで注文している。
「いい冷やおろしが入ったって聞いたら、来ない訳にいかないだろ」
上司と婚約者の前なので、『来なくていいのに…』と返したい気持ちをぐっと堪える俺。
「でも冷やおろしって、火入れしてある分清酒特有の清冽さが雑味になってしまって不味いって聞きますけど…」
全国の日本酒愛好家が聞いたらボコ殴りにされそうな意趣返しを、上司にぶつけてみた。
それだけ俺は、嫉妬深くて狡くて格好悪い男なのだ。
「お前は本当に分かってないね。清音さん、こいつにガツンと教えてやってよ」
(だから、俺の婚約者に馴れ馴れしく口を聞くなよ…!)
清音が、俺の嫉妬を知ってか知らずか朝比奈さんにミステリアスな微笑を返す。
「承知しました。では冷やおろしの魅力を最も感じられる『アレ』をお作りさせて頂きますね……」

達筆の平仮名5文字で『さんやほう』と書かれた、緑色の小瓶が出てきた。
(聞いた事ない銘柄だな…?)
清音がメジャーカップで瓶の中身を45mlきっちり量り、角氷の入ったロックグラスに注ぐ。
そこへ加水が進まないよう手早く、くし型切りにしたライムを搾ってグラスに沈め、軽くステアした。

「お待たせしました。サムライロックです」

日本酒とライムだけという何ともシンプルな、ある意味和風カクテルの原点とも言える一杯。
「ここは俺が持つ。その代わり冷やおろしの悪口は、こいつを呑んでから言って貰おうか」
朝比奈さんが、何かムカつく笑顔で俺に薦めた。
「頂きます…」
とりあえず口に含んでみると………


「……!!?」
ライムの青く爽やかな苦味が、日本酒特有の人を選ぶ香りを斬ってくれた。
雑味など微塵もなく、むしろ丁寧な火入れでまろやかに仕上がった酒の味は、舌の上で優しく花を咲かせて儚く消えていくようだ。
最後に、斬れ味だけを残して。
「ライムで誤魔化しただけの雑酒なんかじゃない。まさに侍の魂だ……!」
「おっ、ようやくお前にも分かってきたか」
朝比奈さんが、我が意を得たりと満足そうに笑った。
「『山野豊』という、関市の銘柄米『美濃錦』を美濃市の小坂酒造さんで丁寧に仕込んだ岐阜の地酒です」
清音が教えてくれた。
「実はこの山野豊、火入れを2回してるんですよ」
「えっ、2回も…?」
ちなみに『火入れ』と言っても、本当にグツグツ沸騰させる訳ではない。
60~70℃のお湯で酒瓶を温浴させ、麹菌以外の雑菌が付かないようにするのだ。
山野豊の場合は、冷却保存を終えて出荷する前に再度火入れを行なう事で、理想の斬れ味とまろやかさを実現させていた。
あたかも、炎の中で鍛えられた鋼が刀剣に姿を変えるように………


「まだまだ、俺の知らない事ばかりだ…」
自分の知識の浅さを恥じつつ、清音の酒に関する引き出しの多さに唸りながらサムライロックを飲み干した。
隣では、朝比奈さんがまた何か注文している。
「清音さん、胡麻焼酎って入ってる?」
「ございますよ」
「じゃあ、舞乙女を」
「かしこまりました」
清音が振るシェイカーの音だけが、店内に優しく響き渡る。
「お前とここで酒について語り合う事が出来るのが、正直嬉しいよ…」
「朝比奈さん?」
すると、珍しく朝比奈さんが遠くを見るような眼をして語り始めた。
「……俺も離婚して情緒不安定だった頃、この店に救われたからさ…」
「………!」
わりと長くこの人の下で働いているが、バツイチだなんて初めて聞いた。
「今だからこそ、嫁さんだった人の怒りはもっともだったと思ってる。でも当時の俺は仕事…否、自分の眼の前しか見えてなくて、自分だけが責められるのに不満を募らせていたんだ……」
最初は分担していた家事や家計も、次第になぁなぁになり負担は奥様に偏っていったそうだ。
奥様だって、外で仕事をしていたにも関わらず。
そして、ある年の結婚記念日の事だった。
仕事を早めに切り上げ、キッチンでご馳走の準備をしていた奥様に、朝比奈さんは帰宅するなりこう言ってしまった。


『せっかくだから外で食わない?』と………
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