黄水晶の書棚(その他二次創作・一次創作)

□異説・注文の多い料理店〜山猫達は今日も忙しい〜
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『壺のなかのクリームを体や手足にすっかりぬってください。』

「クリームを塗れというのはどういうんだ?」
「これはね、外が非常に寒いだろう。部屋の中があんまり暖かいとひびが切れるから、その予防なんだ。どうも奥には、よほど偉い人が来ている。こんなとこで案外僕らは、貴族とお近づきになれるかもしれないよ」


硝子壺の底に残った牛乳のクリームを、こっそり顔に塗るふりをしながら食べている紳士達を、鍵穴から覗き込んで山猫共がほくそ笑んでおりました。
「全く浅ましいったらないねぇ。僕達猫だってあんな無作法はやらないよ」
「乳脂肪分四十パァセントの純粋な高級クリームだからね、人間如きには上等さ。せいぜい冥土の土産にしゃぶっていきな…」
相棒の山猫は、瞳の細長い瞳孔をぎらりと光らせて残酷に笑いました。

二人の紳士が大急ぎで扉を開けますと、裏側には追い討ちのようにこう書いてありました。

『クリームをよくぬりましたか?耳にもよくぬりましたか?』

「そうそう、僕は耳には塗らなかった。危なく耳にひびを切らすとこだった。ここの主人は実に用意周到だね」
「あぁ、細かいとこまでよく気が付くよ。所で僕は早く何か食べたいんだが、こう何処までも廊下じゃ仕方ないね」


「用意周到なのは主人じゃなくて僕達だけどね」
自分達の努力なのに猫神親分の手柄になっているのを聞いて、山猫はむしゃくしゃしました。
「大丈夫だよ。連中が耳にクリームを塗り込めたら、細工は流々。後は仕上げを御覧じろだ…」


『料理はもうすぐできます。十五分とお待たせはいたしません。
すぐ食べられます。
早くあなたの頭に瓶の中の香水をよく振りかけてください。』

紳士達は扉に言われるがままに部屋へ入り、真ん中のテーブルに置かれた金ピカの香水瓶を手に取って、頭にぱちゃぱちゃと振りかけました。
ところが、その香水はどうも酢のような匂いがするのでした。
「この香水は変に酢くさい。どうしたんだろう」
「間違えたんだ。下女が風邪でも引いて間違えて入れたんだろう」


その様子を見ながら、山猫共もさすがに呆れ始めていました。
「普通、飲食店に香水なんてものは厳禁だというのに、どうして疑わないかねぇ。香害という言葉を知らないと見える」
「所詮は都会っ子ぶってるただの田舎者って事さ」
そもそも、頭に香水をぶっかけて物を食うなどという法は聞いた事がありません。
「あいつら自分をマリネしてるよ。もうじき菜っ葉と合わせてサラドにされるとも知らずに…」
「さて、最後の仕上げだ」


『いろいろ注文が多くてうるさかったでしょう。お気の毒でした。
もうこれだけです。どうかからだ中に、壺の中の塩をたくさんよくもみこんでください。』 

確かに立派な青い瀬戸の塩壺は置いてありましたが、今度という今度は紳士達も意味を悟ってしまったようでした。
「たくさんの注文というのは、向こうがこちらへ注文してるんだよ…」
「西洋料理店というのは、来た人に西洋料理を食べさせるのではなくて、来た人を西洋料理にして食べてやる店と、こういう事なんだ。これは…その……つ、つ、つ、つまり、ぼ、ぼ、ぼくらが……」


がたがた震え出してものが言えなくなった瞬間を、山猫共は見逃しませんでした。
「扉を押さえろ。一分も開かないように!」
「お前達は猫神様の生贄になるのさ。光栄に思うがいい!」
すっかり閉じ込めてしまってから、素早く向こう側の部屋に移動しました。
紳士達が閉じ込められている部屋の奥には、大きな鍵穴が二つと、銀色のナイフとフォークの装飾が施された扉が一枚あって、そこには血のように赤い大きな文字で

『いや、わざわざご苦労です。大変結構にできました。さぁさぁ』


『 お 腹 に お は い り く だ さ い 』


ついに紳士達は、がたがた震えて泣き出しました。

「駄目だよ。あいつらもう気が付いたよ。塩をもみ込まないようだよ」
「当たり前さ。親分の書きようがまずいんだ。あすこへ『いろいろ注文が多くてうるさかったでしょう。お気の毒でした』なんて、間抜けな事を書いたもんだ」
「どっちでもいいよ。どうせ僕らには骨も分けてくれやしないんだ」
「それはそうだ。でももしここへあいつらが入ってこなかったら、それは僕らの責任だぜ」
山猫共の背後では、象ほどの大きさもある真っ白な体の猫神親分が、首輪の代わりにナフキンを着けて、両手にナイフとフォークを構え、テーブルに着いていました。
空腹ゆえにか車のタイヤほどもあるクリソベリルの瞳をぎらぎらと光らせ、大声で癇癪を起こしています。
「山猫共!前菜はまだかぁぁぁ!!!」
猫神が何か喋ろうと息を吸う度に、大風が吹いたように広間の調度品がごとんごとんと揺れました。
「へい、只今じき持って参ります。時間がないぞ相棒。実力行使だ!」
「了解!」
山猫共は束の間小豆粒のように小さく姿を変えると、鍵穴から塩壺のある部屋に滑り込んで、また元の大きさに戻りました。
「よくも手間を掛けさせてくれたな」
「さぁ好きな方を選ばせてやる。サラドになりたいか、フライになりたいか?」
紳士達は泣いて泣いて泣いて泣いて泣きました。
あまりに心を痛めすぎて顔が紙屑のようにくしゃくしゃになってしまい、脚は萎えて立ち上がる事も出来ませんでした。
山猫共はよいしょっと二人を担ぎ上げると、最後に身を包んでいた肌着や下着を海老の殻のようにするりと剥いてしまい、もはや何の抵抗も出来なくなった人間に瀬戸の塩壺をひっくり返して、満遍なくもみ込んでしまいました。
それから、ずるずると猫神のいる広間に引きずって行きました。
「おぅ、遅かったな。肉切り包丁もすっかり研ぎ上がってるし、鍋の湯もしっかり沸いているぞ」
鍵穴から、そんな声が聞こえた気がしました………


皆さんも、もしも狩りの途中で猟犬や案内役の猟師とはぐれても、決して深追いをしてはいけません。
ましてや、山奥に不釣り合いな程立派な料理店を見つけても、絶対に入ってはいけません。
恐ろしい猫神と、その眷族の山猫は、いつでも皆さんを食べてしまおうと待ち構えているのですから………

【完】

 
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