戴宗×林冲

□野生の獣
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その瞳を見た瞬間、心奪われたのかもしれない――――

八十万禁軍武術師範王進。中華最強と謳われるその男を仲間に引き入れろとの任務を受け、出向いた都。そこで初めてその姿を見た。
ターゲットである王進の腹心の部下であり、武術師範補佐でもある彼の立ち姿はひどく優雅で、歩いているだけなのに華がある。
燃える焔のように朱色の自分の髪とは違い、烏の濡羽色のように艶やかな漆黒の髪。それとは対照的な白磁のようにシミ一つない練り絹のような肌。通った鼻筋、そこだけ紅を刺したかのように鮮やかな唇。そのどれもが絶妙なバランスで持って、配置されている。
その中でも最も目を惹くのが、切れ長の涼やかな瞳だ。長い睫毛に縁取られた黒曜石のような瞳は、しかし触れれば切れそうに鋭く、何よりも気高い光を宿していて吸い込まれそうになった。
もう目が離せない。
戴宗は食い入るように、その姿を見詰め続けた。
欲しい。あれが……。王進ではなく、あれがいい。
禁軍武術師範補佐・林冲。
今までこれほどまでに、何かを欲したことはなかった。
豹子頭と呼ばれる彼がその類稀なる美貌に反し、槍棒の達人で優れた武技を持っていることは知っていた。
ならば捩じ伏せればいい。彼を力で征服し、屈服させれば、きっと彼は自分だけのものになる。
あの誰よりも矜持の高い彼が屈辱に塗れ、その唇が切れるのほどに噛み締められ、自分を睨み付けてきたのなら……。
そう考えただけで気持ちは激しく高揚し、鼓動が高鳴った。
そして彼は今、目の前にいる。
王進のために身を呈し、敵を足止めした彼と戴宗は共に行動していた。
追っ手を撒きながらの逃避行。もちろん屋根の付いた宿などに宿泊できるはずもなく、また傍には年端もいかぬ少女がいる。

 ここではまずい

いくら猪突猛進、独断専行、唯我独尊の戴宗にだってそれぐらいの分別はあった。

「王進様はご無事だろうか……」

それでも紅をさしたように鮮やかな唇がその名を紡ぐたびに、戴宗の中でドロドロとした醜悪などす黒い感情が体の奥底に沈殿していく。静かに、そして確実に……。
その感情の名を戴宗は知っていたが、敢えて名付けることはしなかった。

「笑えねーな」

全くもって自分らしくない。
だからここは自分らしく、欲しいものは強引にでも奪うことにしたのだ。
そして、ようやく辿り着いた十字坡。
頭領である宋江の上手い策略説得により、林冲はもうしばらく共に行動することとなった。
戴宗と共に義賊と名乗る者たち根城である梁山泊に潜入し、彼らの頭領である王倫を倒して拠点を手に入れる。
それが二人に課された任務だ。出立は明日。それまではここで休むことになった。
絶好の機会。それを戴宗が逃すわけがない。都合のいいことに林冲の部屋は戴宗の横に宛がわれた。
今夜は新月。月明かりさえ届かぬ闇の世界に紛れて、戴宗はその部屋の前に立ったのである。

これから手に入れる。あの誰よりも美しく気高い野生の獣を――――

戴宗はその口許に、冷たく残酷な笑みを刷いた。





2009.9.24





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