□10years ago
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この了平は今の時代の自分達が付き合っていることを分かっているのだろうか。もしかしてもう覚えていないのだろうか。
十年後の了平が結婚しているというなら、これから十年の間に自分達には別れが訪れて、そして結婚をしても良いと思えるほどの相手に出会ったということだ。
大人になった彼に結婚したという事実を聞かされた今の自分は心臓を打ちひしがれたような気分だが、目の前にいる結婚している了平と自分とは十年の歳月の差がある。その十年の間で起った出来事を、彼の隣にいたであろう自分も受け入れてそうして別れが訪れたに違いない。
そしてこの了平と十年後の自分は、それほど悪くない関係を築いているのだと思う。そうでなければ、自分の前で嬉しそうに結婚の報告をしてくるなど有り得ないからだ。
だけど今それを聞かされたくはなかった。
今の自分達はまだ所謂お付き合いを始めたばかりで、つい先日、辺鄙な地域にある海にまで押しかけて互いの気持ちを確認し合ったばかりなのだ。
まさに幸せな恋愛の真っ只中だというのに、十年後から来たという了平はあっさりと自分達の未来を教えた。十五歳のこの年に自分達は恋仲であったことなど忘れてしまうほど、彼と自分は別れてから年月を重ねているのだろうか。
ずっと一生一緒に居るだなんて思ってはいなかったけれど、こうして別の未来を歩むことを知らされるにはまだ時期は早いような気がした。見始めたばかりなのにオチを教えられてしまった映画みたいじゃないか。
雲雀は簡単に自分達の終わりの未来を語った了平に腹が立った。だが今ここで文句を言うのは間違っていることも分かっていた。
どんな経緯があって自分達が別れたのかはわからない。だけどこの未来への過程の中で、自分もそれを納得して受け入れたのだろう。もしかしたら自分から別れを切り出したのかも知れないし。
この話はもう忘れようと思った。馬鹿なことを聞いてしまった。
未来なんて、先に知ってしまっても楽しいことはない。
「・・・・水羊羹、食べるよね」
「極限食うぞ!腹が減っておるのだ!」
一緒に食べる予定の冷えた水羊羹を差し出しながら、雲雀は何も聞かなかったかのように振舞った。相手は雲雀の動揺にも今さっきまでの会話の話題が流されたことにもまるで気付いていないようで、水羊羹の蓋を剥がして美味しそうにそれを頬張っていた。

「なあヒバリ、せっかく並中へ来たのだから出来れば色々見て回りたいのだが、やはり駄目か?」
二つの水羊羹を胃に収め終えたところで了平は校舎内を見学したいと言い出した。十年近く訪れていなかった自分の母校へ偶然とは言え弾き飛ばされたのだ、懐かしさが湧いてくるのも仕方のないことだろうが、雲雀はそれに対してノーの返事を返した。
「何故だ」
「何故もなにも、見慣れない大男が真っ黒なスーツでウロついていたら、いくら人が少ないとは言え目立つに決まってるだろ。それを一々フォローしてやるのも面倒だし、この暑い中校舎を案内して回るのも御免だよ」
「そうか・・・・」
本人の申請が正しければもう二十五にもなる大人だというのに、あからさまに肩を落としてしょんぼりしている姿を見ると少しだけ可哀相に思えてしまう。
そんな様を見れば自分の知る了平の名残が出ているなと、あまりなかった実感が少しだけ浮き上がった。
「・・・・ここの窓から見るくらいなら、許してあげてもいいよ」
この応接室の窓からなら中庭と東の校舎、体育館の一部、そして微かにグランドが見える。雲雀の申し出に了平は嬉しそうに笑って、窓から身を乗り出して懐かしい学び舎を眺めた。
土曜日の午後ともなれば生徒達もほとんどいない。中庭やグランドでは部活に勤しむ学生達だけが各々の練習メニューに明け暮れていて、東校舎の一角の美術室では、美術部員が秋の学園祭に出展する絵を描いている姿が窓越しに見えた。
「懐かしいな!あの頃は何とも思わなかったのだが、こうやって大人になって見てみると随分小さく思えるのだな」
ボクシング部の部室からこの応接室にやってくるまでの間でいくつかの教室の前を通り過ぎた。あの頃、自分が使っていたであろう机も椅子も、そして教室でさえも、全てが記憶にあるより随分と小さい。
あの頃はこの中の世界が全てだったから、今こうして改めて見ると小さく思えるのだろうか。身体が成長したせいもあるだろうが、狭い世界しか知らなかったあの頃は、その世界で与えられる全ての物を大きく捉えていた。
今の彼はスーツを着て世界中を飛び回り、自分で金を稼いで自分で生活をしている。大人になってからの視点でこの校舎を見渡すと全ては狭く、そしてその狭い世界で一所懸命生きていた自分たちが面白かった。
だけど必死だったと思う。あの頃はそれが全てだったし、今この学校で学ぶ生徒達もそして目の前にいる雲雀も、必死で今を生きている。
ここで会ってからずっと不機嫌そうな顔を作ったままの雲雀の頭に、了平はもう一度掌を乗せた。それからぽんぽんと軽く叩いた。
「・・・なに。触るなって言ってるんだけど」
「まあそう言うな!なんだ、懐かしすぎてな!まさか並中時代のお前にもう一度会えるとは思ってもおらんかったから、つい確かめたくなるのだ!」
己の頭に乗せられた了平の手を今度は払い退けようとは思わなかった。大きな掌に頭を撫でられるのは気持ち良くないこともない。
そっと了平の左手の指輪に目を遣る。そこには相変わらず束縛を示すような、彼が他人のものであることを示しているような、細い銀色の指輪が薬指で堂々と光っていた。
上を見上げると今もまだ頭を撫で続けている了平と目が合った。十五歳の彼からは想像もつかないような優しい大人の笑顔を湛えて、目の前にいる男は自分を見下ろしている。その顔が了平だなとぼんやり思った。

今目の前にいる男を了平の未来の姿だと分かってはいても、この男に対して自分がどんな感情を持てるかなんて分からない。雲雀にとって今の了平は、了平であり了平でないからだ。
だから今のこの了平が、例えば彼が結婚したという見たこともない相手と一緒にいる場面を想像してみても、やはり特に何か大きい感情が生まれてくることはない。ただこの先自分たちがずっと一緒に居ることがないと知ったことが、雲雀の動揺を招いているのだ。
そして今度は自分のよく知る十五歳の了平を思い出してみた。
熱血で人の話を全く聞かなくてひたすら煩いだけの極限男。だけど好きだ。その極限男が例えば他に好きな人間が出来たとして、その人間と一緒に居る場面を想像してみたら、雲雀はその想像だけで自分が黒く焦げた蟠りを抱くことに気付いた。
二人でずっと一緒にいる未来を信じていたわけではない。だけどいずれ離れていくことが哀しいと思った。
「どうしたヒバリ。どうしてそんな泣きそうな顔をしとるんだ」
我に返って焦点を合わせると、心配そうに自分を覗き込む大人の男の顔が飛び込んできた。初めてこんなに近くで男の顔を見て、雲雀は素直にいい男になったなと感心した。
「・・・君さ。いつを境にそんな風に変わったの」
「? 俺は何も変わっとらんぞ?」
雲雀の言いたかった「変わった」とは純粋に外見のことだったのだが、相手には全く違う意味に捉えられてしまったらしい。訂正するのも馬鹿らしいし何よりかっこよくなったと言ってやるのが悔しい気がして、雲雀は目線を左にずらしてその話を終わらせようとした。そしてまた、視線の先に光る銀色の輪を見つけてしまった。
「それ」
「ん?」
「その指輪。君がそんな指輪をつけるなんて意外だね」
「そうか?だが結婚指輪なのだからつけておくもんではないのか?」
そんなことを言いたかったわけではない。かと言って何が言いたかったんだと問われれば何という答えもないが、要はその指輪が気に入らないということだ。
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