Short小説
□あとは蒸発でもしちゃう?
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そよそよそよ。
むしむしむし。
そんでもって蝉が、みーんみんみん。
「あーつーいーーー!」
「だぁあ!うっせぇな。さっきからそれしか言えないのかお前は!」
あとは蒸発でもしちゃう?
窓を開けても意味があるのかないのか、生暖かい風だけが中に入ってくる。さすがに蜃気楼まではいかなくとも、今が暑いことは日射を反射させるコンクリートが証明していた。
てか、あれ湯気出てんじゃね?
部屋の窓を全開にしているから、こっちからも向こうからもまる見えで。ちょいっと顔を出せばすぐに強烈な光が視界を襲う。
おそらく向かいのおばさんが玄関に水をまいたのだろうそれは、逆に蒸し暑くしているんじゃないかと思った。だって熱気に湿気だろ?俺ならぜってぇ耐えられない。
「おーい。お前いつまでソコ占領してるつもりだ」
声を掛けられて振り向けば、見慣れた顔が呆れた表情をつくり汗をかいたマグカップを一つ、俺の前に差し出した。
カランッと涼しい気な音を立てて氷の山が崩れていく。
頭の白いタオルを揺らしながら、花井はあぐらをかいて座る俺の隣に、これまた同じようにあぐらをかいて自分の分の麦茶をあおった。
「いーだろー。俺、こっから動きたくねぇもん」
そよそよと全身を吹き抜ける風がどうしようもなく気持ちがいい。この快適を逃がしてたまるかと、目の前のソレを両手で掴んだ。
「だぁー。暑いのはお前だけじゃねぇんだ。一人占めすんなっての!」
「あー!!ひっでぇ」
「ひどいのはそっちだ!」
部屋の中で空気が動き出す。カラカラカラと年季の入った軋む音を立てながら、ソレ、扇風機の首が左右に揺れ始めた。風鈴もなにもない部屋で、唯一季節感のあるモノ。
花井はぶかっとしたTシャツで俺にいたってはタンクトップ一枚だった。
梅雨が明けたと思ったら、急激に暑くなるのだからやってられない。
つい、一週間前まで傘を持ち歩いていたなんてまるで嘘みたいだ。
自分の前を通り過ぎていくヘッドを追って身体が傾く。少しでも風が欲しいんだもん、なんて心の中で言い訳をした。
「たじまぁ、お前ってホント堪え性ねぇよなあ」
「え〜。だって暑ぃんだから仕方ないじゃん」
「ってお前座ってるだけだろが。さっきだって俺が麦茶持ってきたし。つか、ここお前んちなんだからこの場合客は俺だぞ?」
「いーのいーの。細かいことは気にしないの」
手をパタパタさせて調子よく言えば案の定花井は、…たくっ。と小さく諦めた息を吐いて、すぐ扇風機の風を煽り始めた。
一個しかない扇風機が健闘する。でも歳で言えばコイツはじぃちゃん、それかばぁちゃんで、何せ首を振るのもカタカタカラカラ言わせるやつだから必然的に花井との距離は縮んでいた。
「あ〜つ〜いーーよぉおお」
振れる扇風機を追って声を投げる。絶妙な振動音と声のコラボレーションが響いて、そういや昔っからこうして遊んでたっけと今よりもっとガキだった時分が脳裏に浮かんだ。
「アハハハハァーーァアア」
「うわっ、と。こら田島こっちに倒れ込むな暑いだろーが」
「ハハハハハ」
あの、扇風機で遊んでいた自分を思い出したせいかなんだか楽しくなってくる。追って追って、笑いが出てきて、気が付いたら限界まで身体を傾けていて、隣の花井に思いっきり倒れ込んで、押し倒していた。
静かにそよぐ風の音と、軋む扇風機と、それからマグカップの中で溶けた氷の弾ける音が一つ。
窓が全開に開けられた部屋で、湿気めいた空気の中で、重なり合う影は、一つ。
汗ばんだ肌が吸盤みたいに張り付いて、花井の体温が自分の中に確かに存在した。
「田島ぁ!重い!暑い!どけってば!」
「やだー!」
「はぁ?お前、暑い暑い言ってたじゃねーか!」
「暑い暑いあつーい!あつーいー。でも俺、こっから動きたくねー」
未だ笑いだけが零れてくる。暑いよーとか、でも気持ちいいんだーとか、これは俺んのだー!とか。そんなとりとめのないことばっかだけど、背中に回した腕にはきっちり力は込めて大好きでたまらない花井の身体に顔をうずめた。
次は、おーきく深呼吸!
夏休みの定番の、ラジオ体操みたいな文句で、肺いっぱいに酸素と二酸化炭素と、あとは、チッソ?だっけ、花井がこの前の化学でそんなことを言ってたよーな言ってなかったよーな。まぁ、一時間もしないうちに忘れたけど。(だって花井がいるのに勉強なんかしたくない。つーか、もっとえっちぃことしたいじゃん?)を吸い込んだ。
でもきっと今俺の身体を解剖したら、肺にある成分の大半は花井のにおいだろうな。ゲンミツにっ!
ぐりぐりぐり。顔を擦りつけて自分のにおいも花井につける。だって花井は俺んのだ。他の誰にも一カケラだってやらないもんね。
「ぶっ。ははははは!くすぐっ、はひっ、てぇ、ばかたじっ、やめ、」
「やーだー」
「こんの!」
ぐいっと突然、花井に回した腕を外されて、次の瞬間花井の手が俺に回った。
「そぉれ!」
「!!あひゃひゃひゃひゃひゃ!はなっ、い、反則!それズル、ひゃひゃはははは!」
わきに腰にとこちょこちょこちょこちょ。長い筋ばった指先は器用に動く。そんなん耐えられるわけないじゃんズルイ反則だ花井。そう言いたいのにくすぐったくって声にもならない。
ものの一分もしないうちにその攻撃は止んだけど、この暑い中暴れたおかげでお互い息が上がって、肩を上下させていた。
「ねぇ?」
「んだよ」
しばらく息を整えて。
でも相変わらず俺は花井を押し倒したままで。
花井の胸の上下運動が俺の胸に伝わってくる。
「アレみたいにさ、二人で汗、かいちゃわない?」
指差した方向にはすっかり汗をかいて、床に水溜まりをつくっている麦茶の入ったマグカップ達。
「ばぁーか。暑い」
「いいじゃん。どうせ熱くなるんだし。二人とも。それに…」
少しだけ身体を這って、今もまだカラカラ鳴らす扇風機をこちらに向けた。ガキンッと鈍く響いて首は固定される。
「重なってれば首を振らなくていいし?ね?いいアイディア!」
「どーこが」
すっ、と花井は立ち上がって全開の窓を静かに閉めていく。白いレースのカーテンと、それから少し厚めのカーテンもゆっくり閉じた。俺も身体を立て直し、元のあぐらの姿勢へ。
「どーこがいいアイディアなんだよ。暑がりのくせに」
「暑がりじゃなくて、実際暑いの!」
「結局暑いんじゃん」
ふっと軟らかく目を弓なりに細めた花井の、目線が徐々に下降し、膝立ちになると首の後ろにうっすらとポッキー焼けをしたその腕が回った。
「…ん。ふぅ、ぁ…、は」
軽いものよりも深く、濃厚なものの手前の口付けを交わし。
「今からあーっつくしてやるからな!」
「これ以上熱くされたら溶けちゃうな。俺」
「大歓迎じゃん。二人で溶けちゃおうよ」
「ん。じゃ、どっちが先に溶けるか勝負でもすっか」
首にすがるその腕を撫でて、花井の後頭部に手を添えると、後はそのまま再び愛しい花井の身体に重なった。
交わる肌のぴったりと触れる様が、表面を吹き抜けていく風よりも心地よくて、このままどろどろになってしまったらどんなに気持ちいいんだろうと思った。
湿気た唇を這わしながら。
そよぐ風すらも熱気と化したその部屋で。
汗をかいていた二つのマグカップの中で、氷は、跡形もなく麦茶と交じって溶けていった。
後に残るのは、その存在があったことだけを示す、小さな水泡と重なり合って出来た大きな水溜まりが一つ。
あとは蒸発でもしちゃう?
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