Short小説

□例えばそれは、全部
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キィ――…。

小さく開くドアの音を聞いた。
後ろには人の気配。ゆっくり近づいて来て真後ろに立つと、ぎゅと力無くだけど縋るように俺を抱きしめる。

「花井」

優しく呼べば少しだけその手に力が込もる。俺の服の裾を掴んでいた花井は、ん…とただ一言漏らした。
やんわり腕の中で反転して花井を見上げ、それから椅子から立ち上がって今度は床に座るよう促しながら自分も一緒に座った。椅子なんて邪魔だから。
だからいつも俺達は床に座る。幸いウチの部室は教室みたいな板張りだし別に俺は床自体に座ることに嫌悪感はなかったから。

立ったり座ったり、動きづらいだろうに花井は腕を離さない。
そっと頬に手をあてると不安げに揺らした瞳と目が合った。

「だいじょうぶ」

自然に出るやわらかな声に花井はこくんと小さく頷き、腕を離して代わりに俺の袖を右手の親指と人差し指できゅっと掴んで隣に座った。肩と肩の間は0センチ。花井の右腕と俺の左腕も完全に触れていた。

「…田島、」

「うん」

「田島…、」

「うん」

隣から独り言のようにぽそぽそ、それこそ耳をそばだてなきゃわかんないくらい小さな小さな声。

「たじま」

「うん」

座っている足をこれでもかって折り畳んで体育座りをする。苦しそうに左手で足を支えて縮こまるように。

「…泣いて、も、いぃ…?」

「うん」

下唇を噛んで、目に膜張って。自分で自分を抱いて耐えている姿をぎゅっと力強く抱きしめる。丸まった身体はいつもの大きさを消して俺の腕の中に収まり、俺は形のいい頭に唇を落とした。花井は背中に腕をまわすと鳴咽を噛み締めながらゆっくりと泣きはじめた。




例えばそれは、





こんな花井、俺しか知らない。誰かが見たら本当にこれは花井?って思うね絶対。


いかにもお兄ちゃんだよな

さすがキャプテンとかやってるだけあるよ

相談とか親身になって聞いてくれてさー

悩んでたり悲しかったりした時どうした?ってアイツ必ず気付いて聞いてくれるんだよ

あんな風に笑顔向けられたら癒されるよなぁ

うんうん
よく笑ってるんだよな


十人に聞けば皆がそんな風に言う。絶えず笑っていて気が利いて友達想い。やわらかな笑顔が特徴の爽やか好青年。
俺もそう思ってた。だっていつも俺や三橋の世話焼くし阿部にからかわれてたりするけど部活のこと真剣に話し合ってたり、部員一人一人と何かしら会話しようと声を掛けに行ってる姿はもう誠実っつうか実直っつうか。
だから、それに気が付いたとき余計に興味を持ったんだ。


例えばそれは筆箱の中のボールペン。

気が付く度にペンが入れ替わっていた。消えたものの中にはインクが少なかったやつもある。でもまだ少しの間使えるだけの量はあったはずだ。
たまに、この前増えたと思ったばかりの赤や黒のボールペンさえ真新しいものに替わっていて、そんなに授業でペンって使うのかななんて、その時はそうとしか思わなかった。


例えばそれは何冊ものノート。

ルーズリーフだと無くしたりするから嫌だと言っていた。だから愛用は必然的にノートで。
各授業ごとに一冊用意されたそれには真面目に取り組んでいる跡がたくさんで、テスト前には必ずお世話になっていた。数学だと何回も計算式を書き直してあったりして、花井にも苦手なものってあるんだなぁと、きっと俺しか知らないんだろうなとそう思ったらよくわかんないけど嬉しくなった。

最初は気付かなかったさ。でもふとした時にどのノートもどこかしらのページが破られていることに気が付いた。授業内容を書き取ったところじゃなくて一番後ろのページとかまだ何にも書いてないページとか。汚く破れてしまったところは几帳面にも綺麗に端まで剥がした跡があってメモにでもしたのかな、とかでもだったらメモ帳でも持てばいいのにとか色々、頭ん中で呟いた。

それから毎週木曜日。

この日はミーティングで練習はしない。どっかの教室に集まって話してそれで終わり。何でもセーチョーキだから練習し過ぎると肩壊すんだって。そうなったら元も子もないからこの日だけはじっと大人しく過ごしてるんだ。
俺の家からはグランドが見えるからウズウズする身体を持て余して、今すぐにでも飛んで行きたくなるのを我慢した。
ぼんやり眺めてると大体6時から半くらいかな。花井がやってくる。部室入って1時間くらいしたら出て来る。なまじ目がいいってのもあるし花井は目立つからすぐにわかった。
忘れ物?毎週毎週この日に?

中身の入れ替わりが激しい筆箱。

破られたノート。

そういうことに気が付いてたからやっぱ気になってくるもんじゃない。なんで?って聞けばいい。思う反面ぷらいべぇとなことだしと慣れない英語を無理して使ってみちゃったりする自分がいて。
でも結局ムダにある好奇心に負けてこっそり部室に近付いた。

音も立てずにこっそり。
窓からそおっと。
すごくワクワクした。

人の秘密なんて見るもんじゃないけど、アノ花井だよ。
これでグラビアとかアレ系の雑誌読んでたらどうする?面白いよホント。
それに仮にそうならそうで俺がイッチオシのやつ貸してやるし。そうしたら一層親しみやすくなると思わない?なんたって花井も俺とおんなじセーショーネン!


ってね。悪戯心いっぱいでそんなこと考えてたんだよ。


あんな花井を見るまでは。




…――ドクンッ!


鼓動が今までにないくらい大きく脈打った。
呼吸を忘れた?ってのか。一瞬、ほんの一瞬だけだけど、なにもかも忘れて俺の全部は確かに花井に向けられたんだ。


泣いている。


声は聞こえない。
ううん声なんて上げてない。涙だって見えない。けれど、机に突っ伏して身体を震わせている。その机には見開かれたノートが一冊と嫌な方向に曲げられたプラスチックのボールペン。
机に花井自身に床に。何のパーティー?って聞きたくなるくらいに舞い散った紙吹雪ならぬ無惨にちぎられたノートの切れ端。


『花井ーじゃあなー』

『お先ー』

『おぅ。気ぃつけて帰れよ』

『どこの母ちゃんだよそれ』

『あっはは言える。似合いすぎ!』

『ばぁーか、なに言ってんだ。てか笑いすぎ!お前』

『アハハハ!』


さっきまで。
ついほんの1時間前にはあんなに笑っていたのに。

なんで。

どうして。

そんな風に泣いてんの?


気付いたら逃げ出してた。
くるりともと来た方向に。
大丈夫気付かれていない。胸が痛くて痛くて、そんな運動なんかしてないのに額には汗が浮き出した。張り付く前髪が無性に気持ちが悪かった。

次の日も次の日も。花井は変わらず母ちゃんみたいな兄ちゃんみたいなやわらかな笑顔が特徴の爽やか好青年で、いい奴だった。
あんなに泣いていたのに。
あの日が嘘みたいな日常。

なのに相変わらず筆箱の中身は変わってるしノートの厚みは減ってるし、木曜日には誰もいない部室に花井は現れる。

嫌だった。
正直かなり嫌だった。花井が笑ってんのも、あんな風に涙も流さないで泣いてんのも、それを毎回見に行っている自分も。ただ窓から見ていることしか出来ない自分が。
部室は綺麗だった。野球部だから小汚くなるはずなのに整頓されていた。
花井が木曜日、曲がったペンや散らかした紙吹雪と共に片付けているからだ。ただひたすらにうずくまるだけの日やぼぉっとどこ見てんのかわかんない日もあるけど。もうクセなんだと思う。帰り際に簡単に掃除していた。
あぁ、だからゴミが落ちてることないんだ。
ニッコリにっこにこ。仮面みたいに貼りくっつけて。毎日毎日誰かから用事頼まれたり気ぃつかったり、いい生徒だね。いいキャプテンだね。いい友達だね。いい奴だね。どうせ家ではいいお兄ちゃんなんでしょ?

ねぇ

俺がいるよ?

俺じゃ、ダメ?

花井の隣に行きたいよ。
俺は、花井の隣に行きたいんだ。

あんな笑い顔嫌だ。誰に対しても同じ。本当に仮面みたい。嫌なんだよ。影で泣いている花井にどうしようもなく惹かれているなんて…。
隠れてないで、俺の前で泣いていてよ。見られたくないのなら、ぎゅうっと抱きしめるから。

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