夢幻狼
□第十八章・激憤
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第十八章
油小路の変から数週間が経ち、十二月に入った頃。
太刀は陽が沈むのを待って羅刹隊の部屋を訪れた。
先の襲撃で、殆どの羅刹隊士が風間に殺されてしまったため、がらんとしている。
部屋の中央で刀の手入れをしていた平助は、意外な訪問者に目を丸くした。
「太刀……」
「久しぶり。身体は?」
「あ、ああ、久しぶり。……身体は、もう平気だよ。全部治ったみたいだ」
「……そうか」
「!?」
平助は心底、驚いた。
太刀が頭を下げたからだ。突然のことに反応できずに固まっていると、太刀はそのままの姿勢で言った。
「礼を言いに来た」
「えっ……?」
「油小路で、千鶴姉を守ってくれた。あのとき平助が庇ってくれなかったら一一彼女も俺も、無事では済まなかった」
「や、やめろよ!そんな、礼なんて一一!」
「正直、平助に借りをつくる日が来るとは思わなかった……。ありがとう」
「ああ!もう、そういうの無し!調子狂うっての」
込み上げるむず痒さに耐えきれず、平助は咄嗟に両手で太刀の頬を挟み、顔を上げさせて目線を合わせた。
それが、いけなかった。
「痛っ一一て!」
無意識だった。突然、至近距離に平助の顔が現れた事に驚き、反射的に平助を投げ倒していた。
「急に触るな。……吃驚する」
「だからって投げ倒すことねえだろ!それに……太刀は、一人で背負い込み過ぎだよ」
「……?」
不意に物憂げな表情で言い出した平助に、太刀は小首を傾げる。
「おまえも千鶴も悪くない。オレがもっと強かったら、あいつら全部斬って、おまえのことを守りきれたはずだから」
「………」
「借りだとか……オレが言う筋合いはないかもしれないけど、もっと人を頼れよ。万能な人間なんて、いないんだからさ」
「……俺は人間じゃない」
「わかってるよ。小角っていう狼だろ?千鶴も鬼だとか。でも、そんなの関係ないだろ」
この瞬間、太刀は妙な感覚を覚えた。
「誰にでも、できる事とできない事がある。千鶴のことだって、一人で守りきるのは難しいって分かるだろ?仲間なんだから……もっと甘えろよ」
太刀は自分の生き方を達観している。誰が何と言おうとそれを変える気は無いし、そもそも打ち明ける気も無い。
これまで幾度となく平助に口出しされ、その都度、返り討ちにしてきた。
たとえ近藤や千鶴でも、自分の領域は決して譲らない。それなのに……。
「…………努力する」
何故かは分からない。
聞き入れるつもりもないのに、平助に口出しされて腹が立たなかったのは初めてだった。
内心、自分の心境の変化に戸惑っていると、平助はいつもの明るい笑みを浮かべた。
「じゃ、今度はオレから礼を言わせてくれ。オレの意識が戻るまで、ずっと看病してくれたろ?ありがとな。おまえにとっちゃ単なる義理立てでも、すげえ嬉しかった」
「……話は以上だ。失礼する」
「太刀!」
部屋を出る瞬間に呼び止められた。
羞恥に似た煩わしさを感じつつも、肩越しに振り向く。平助はニカッと白い歯を見せ、人好きのする笑顔で言った。
「これからも、よろしくな!」
「………」
羅刹になっても、平助は平助だった。その事に不思議な安堵を感じたが、太刀は返事もせずに部屋を出て行った。
しかし、平助は満足だった。羅刹になったとはいえ、結果的に新選組に戻ってきた。
先の不安が全く無いわけではないが、太刀の傍で、まだやれる事があるのが純粋に嬉しかった。
一一太刀は狼。人と狼を行き来できる、人ならざる種族だった。
とても驚いたが、彼女に対する気持ちは変わらなかった。それどころか納得した。
激減した出稽古の依頼とほとんどの門人が辞めてしまった影響で、本当に貧乏だった試衛館時代。
いよいよ食う物に困りそうになると、太刀はいつも山へふらりと出掛け、山鳥や兎などを持って帰ってきた。
本人は、たまたま真新しい死骸を見つけたから持ってきただけと言い張って何も語らず、手際よく捌いて食卓に並べる。そのおかげで空きっ腹で一日を終えた事はなかったが、ずっと気になっていた。
沖田、原田、永倉、自分の四人で尾行してみた事もあったが、匂いであっさりバレた上に、次尾行したら山には行かないと釘を刺され、誰も彼女に口出ししなくなった。
けれど、気になる気持ちはどうしようもなくて、ただ内心で推測するしかなかった。
太刀は普段は大人しいが、目的を持った時の行動力は目を見張るものがある。鼻が利く彼女の事だ、本当に新鮮な死骸の匂いを嗅ぎ当てているのかも知れない。
……今思うと浅はかな推測だった。嗅覚が優れていようが、新鮮な死骸なんてそうそう見つかるわけがない。
太刀は死骸を探しに行っていたのではなく、自分達の為に狩りをしに行ってくれていたのだ。怪しまれるとわかっていながら、それでも行動してくれた。
自分という縄張りに踏み込まれる事を嫌う彼女は滅多に本心を話さないけど、思いやりのある女の子だ。
知らない太刀を知れる事が、平助はとても嬉しかった。
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