夢幻狼

□第三章・始まり
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第三章




一一文久三年 十二月



「……!」


ある夜。部屋で眠っていた俺は、ある匂いを感知して目が覚めた。

ここしばらく嗅がなかった、どこか芳しい特徴的な鉄臭い匂い。


一一血だ。血の匂いだ。


連中がいる前川邸の方からだ。確認しなくても解る。連中の誰かが狂ったんだと……。
俺は上着だけを羽織り、寝間着のまま部屋を飛び出した。

土方さんの所へ向かう途中にある、斎藤さんと総司の部屋にも寄って事を伝えた。



「……ひでえな、こりゃ」

土方さん達と前川邸に駆けつけた時そこにあったのは、無惨に斬り殺された骸だった。

殺されたこいつも、連中の一人だ。
けど髪の色は変わってない。おそらく、抵抗する間もなく殺されたんだろう。


「……これは、脱走っていうのかな?」

そう言って総司は笑っているが、目が全く笑ってない。
これから斬り合いになる事への喜びを噛みしめてるんだろう。戦闘狂め……。


「……どうだ、太刀?」

骸の側で片膝をつき、改めて匂いを確認する。より詳細な情報を得るためだ。

狼だからか、俺は人より遥かに鼻が良い。

匂いさえ残っていればどこまででも追跡できる。こうして死体の匂いを嗅げばいつ、誰が殺ったのか、その人数も解る。
もっとも、新選組に俺の秘密を知る者はいないから、特異な能力を持つ生意気な白ガキだと思われてる。


「……逃げたのは二人です。ここを去って、まだそんなに経ってません」

「なら遠くへは行ってねえはずだ。総司、斎藤、追って粛清しろ」

「御意……」

「はいはい」

「太刀、先導して奴らを追え。俺も近藤さんに知らせたら追いかける」

「わかりました」

浅く頷き、土方さんは八木邸に。俺は二人と一緒に屯所を出た。



一一一
一一





「うぎゃあああ!?」

「ひゃはははは!!」


夜空に響く断末魔の悲鳴。それを掻き消さんばかりの甲高い笑い声。

私は、悪い夢でも見ているんだろうか?
そうであってほしいと願っても、目の前の残酷な光景が現実である事を思い知らされる。

今、私の目の前で人が殺された。殺されたのは、私を追ってきた浪士達。

そして殺ったのは、浅葱色の羽織を着た白髪のふたりの男。狂気に歪んだ深紅の瞳が爛々と光っている。

怖い。怖い。逃げなきゃ……。
頭ではわかっているのに、濃厚な血の匂いと、背筋を這う恐怖にあてられた身体は言う事を聞かない。


恐怖で上手く動かない身体は、私の側にあった木の板を倒してしまった。

人の姿をした何か達がこちらを振り返り、新たな獲物を見つけた歓喜に打ち震える。

死にたくない。でも足に力が入らない。あまりの恐怖に、悲鳴すら上げられなかった。
彼らは狂った笑い声をあげて駆けてきた。私は身を強張らせ、きつく目を閉じた。

一一その時だった。


彼らは、私に触れる寸前で両断された。びしゃり、と湿った音を立てて飛散した鮮血が地面に広がる。

そこには彼らと同じ、浅葱色の羽織を着た男の人が立っていた。


「あーあ、残念だな……僕ひとりで始末しちゃうつもりだったのに。斎藤君、こんなときに限って仕事早いよね」

「俺は務めを果たすべく動いたまでだ」

斎藤と呼ばれた人は、呆れ混じりのため息を吐く。私は未だ状況が理解できず、呆然と彼らを見上げた。


「……運のない奴だ」

静かで冷たい声色。へたりこむ私の眼前に突きつけられた、刀の切っ先。


なびく漆黒の髪に、私は息を呑んだ。

きらきらと降り注ぐ月の光。その輝きが、私には舞い散る花びらを思い起こさせた。

まるで、狂い咲きの桜のような一一。


「逃げるなよ。背を向ければ斬る」

これ以上なく高まった緊張感に耐えられなくなり、私の意識は前触れもなく闇に沈んだ……。






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