文2
□凍てつく夜に
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一寸の光すら存在を許されないように、漆黒に塗り固められた曇天の下を、切り裂くように走り抜ける。
身を包む風が、鋭利な刃物のように鋭く身体から温度を奪い取っていく。
ふと、空気を支配する寒気の中に小さな変化を感じ、進行方向に立つ手短な大樹の枝に足を止めた。
ふわりと風に弄ばれる、小さな光の欠片にも似たソレは、完全なまでの闇を微かに侵食し始める。
チラチラと零れだした粉雪を見上げ、どうりで冷え込むものだと胸中で呟くが、すぐに思考を戻し素早く枝を蹴った。
与えられた任を遂行し、音を無くした闇に溶け込むように主の元へと向かう。
巨大な門の上を駆けぬけ、本丸に面した中庭にたたずむ松の枝へとその身を滑らせた。
「…………!」
刹那、深遠な宵の闇と静寂だけが支配する筈の世界に、馴れ親しんだ気配を感じて微かに息を呑む。
縁台に腰を下ろし夜着に羽織を纏っただけの彼女は、凍てつく空気に白い息を吐き出しながら、舞い降りる雪の欠片に指を伸ばしては戯れるように動かしていた。
何故、彼女がこんな夜更けにこんな場所に居るのか皆目検討も付かないが、一先ず彼女の目の前へと素早く降り立つ。
一瞬、ビクリと肩を震わせ驚いたように目を見開いた彼女は、己の姿を認識すると途端にふわりと柔らかく微笑んだ。
「おかえりなさい、小太郎さん」
「…………」
距離を詰め、改めて向き合った彼女の顔は、寒さに晒されていた為か不自然に赤く染まっている。
防寒には些か心許ない羽織から覗く指先も、酷く冷たくなっていると一目で分かる有様で、思わず鉢金に隠された眉をしかめた。
「………」
「…あ、れ…何か、怒ってます?」
己の変化を読み取ったのか、恐る恐る呟かれた言葉に何の反応も示さずに居ると、それを肯定と取ったのか彼女は困ったように眉根を寄せた。
バツの悪そうな視線を宙に泳がせ、躊躇いがちに口を開く。
「…今夜は酷く冷え込むので、目が冴えてしまって……何か、無性に小太郎さんに会いたくなったんです」
「疲れてるのに、迷惑ですよね?…ごめんなさい」と頭を下げる彼女の言葉は、じわりと身体を侵食し、捨て去った筈の感情を容赦無く掻き乱す。
そっと彼女の細い肩に手を伸ばすと、外気に晒され冷たくなった布の感触が指先に触れた。
「小太郎さん?……っ、わぁ!」
「…………」
そのまま彼女の身体を引き寄せ、素早く抱き上げる。
いとも簡単に腕の中へと納まった華奢な体躯は、寒さに晒された着物と相まって酷く儚い存在に感じられた。
「…………」
「こ、小太郎さん、私自分で歩けますよ?」
あわあわと狼狽える彼女を見据え、内側から込み上げる感情を誤魔化すように、抱き留める腕に僅かに力を込める。
冷えた着物の奥から伝わる柔らかい彼女の体温に、何処か安堵を感じている自分が居た。
「…あのっ、おろして下さい…ッ!」
「…………」
小さく抵抗を示す彼女の言葉を聞き入れる事はなく、ゆっくりと屋敷の奥へと足を進めた。
(暖かさなど、忘れた筈の魂に)
(それは酷く、熱過ぎた)
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