文
□Alcohol temptation.
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黒く染まる空を、白銀に輝く満月が容赦無く照らしだす。
こんな月が浮かぶ夜は忍にとって疎ましいモノでしかないのだが、主であるあの老人を始めとする城の者達は別らしく、月見酒と称して酒宴を開き賑やかな音を響かせていた。
天守の屋根に腰を下ろし、ぼんやりとその音に耳を傾けていると、少し離れた縁側から馴染んだ声が耳に届く。
「こーたろーさぁん!居るのはわかってるんですよぉ、速やかにでてきなさーい」
少々、呂律の回っていないその声に些か嫌な予感が脳裏をよぎるが、呼び出されたままに音もなく彼女の元へ降り立った。
刹那、予感は確信に変わる。
「わーい、小太郎さんだぁ!えへへへ」
「…………」
自分で呼び出しておきながら、こちらの存在に気付くとふにゃふにゃと力の入っていない笑顔を浮かべた。
上機嫌に笑う彼女は、月夜にも映える白い肌を仄かに桜色に染め、フラフラと微かに揺れる体に合わせるように、手にした徳利が小さな水音を上げている。
見事に酒に飲まれているその姿に、小さく息を吐き出した。
「小太郎さん、呑みませんか?」
「………」
楽しげに徳利を掲げる彼女に、呆れを孕んだまま静かに首を左右に振る。
途端、眉根を寄せて不満げな表情を浮かべた。
「むぅ………じゃーもーいいです、私が全部呑んじゃいますから」
言うや否や、おもむろに徳利を直接口に運ぼうとする彼女の腕を慌てて押さえた。
ついでに手に持っていた徳利も取り上げる。
咎めるように見下ろすと、してやったりと言わんばかりに輝く瞳に射ぬかれた。
「呑みましょ?」
「………」
悪戯っぽく微笑みながら盃を差し出す彼女に、諦めたように溜め息をつく。
そっと盃を受け取り、促されるまま縁台に腰掛けた。
隣に座って楽しげに月を見上げる彼女を横目に、手酌で酒を傾け口に運ぶ。
仄かに甘味を帯びたソレは、成る程、彼女が好みそうな味だった。
静かに盃を傾けていると、上機嫌に鼻歌を歌っていた彼女から言葉が紡がれる。
「綺麗ですねぇ…お月様」
「………」
うっとりと見入る彼女につられるように、眩し過ぎる程に輝くソレを見上げた。
「私、こんな風に明るい満月が一番好きです」
「………?」
どこか含みのある言葉に疑問符を浮かべながら、月から彼女へ視線を向けると、ふふっと小さく微笑んで真っ直ぐとこちらを見据えて口を開く。
「だって…こんなに明るい夜は、小太郎さんのお仕事が出来ないじゃないですか。………と言う事は、一晩中一緒に居られるんですよ?」
「…………ッ、」
あまりにもさらりと落とされた言葉に、危うく口に含んだ酒を吹き出しそうになる。
無邪気に微笑む彼女には全く他意は無いのだろうが、明らかに誘っているようにしか聞こえない言葉に、柄にも無く動揺している自分が居た。
「こうやって夜にお話できるのも、満月様々ですね」
「……………」
何事も無かったように微笑む彼女に気付かれないよう、深く息を吐き出す。
いつにも増して厄介な言動に、今にも頭痛がしてきそうだ。
いつの間にか飲み干していた徳利を傍らに置くと、それに気付いた彼女が静かに立ち上がった。
「………小太郎さん、動かないで下さいね」
「…………ッ!!」
静かに近付いてきたと思った瞬間、ぽすっと軽い感触と共に心地よい温度がのしかかる。
彼女は己の膝の上に座り、胸に体を預けるような体制になっていた。
「………ッ、!」
「えへへへ、こうすれば突然消えちゃったり出来ないですね」
只でさえ薄桃色をしていた頬を更に赤く染め上げ、ぎゅっと服を掴みながらはにかむ彼女に、微かに目眩を感じた。
仄かに薫る、甘い香りに混ざった酒の匂いが鼻腔を擽り、華奢な体が触れている場所が熱を帯びる。
微かに乱される心音を感じながら、半ば助けを請うように視線を夜空へ泳がせた。
「……………すぅ…」
程なくして聞こえてきた静かな寝息に、己の腕の中に納まっている少女に視線を戻すと、何とも幸せそうな表情で眠りの中に落ちていた。
しかし、しっかりと服を掴んだ腕は緩めず、無理に離そうとすれば起こしてしまいかねない。
今宵だけで何度目になるかも分からぬ溜め息を零すと、彼女を起こさぬようにそっと抱えて屋敷の奥へと足を進めた。