□微糖日和
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ザワザワと風にそよぐ葉の音色が、四方から響く蝉時雨と共に心地よく耳に届く。

照りつける太陽を遮る木々の狭間に腰掛け、僅かにひんやりとした幹にその背を預けた。

今日は特に任務も無く、ゆったりと時の流れる小田原城の中庭で、熱を集め微かな蜃気楼を生み出す屋根瓦をぼんやりと眺めていた。

ふと、蝉の声を遮る高く澄んだ声音が耳に届く。


「小太郎さーん!出てきてくださーい」


穏やかに己の名を呼ぶ女の声に、素早く枝を蹴った。

日陰で風通しのいい縁台にたたずむ彼女の前へ、音も立てずに舞い降りる。


「あ、小太郎さん!見て下さい、コレ」


ニコニコと嬉しそうに微笑みながら、彼女は手に持った盆を掲げて見せた。

漆塗りの盆の上には、艶々と涼しげな色を浮かべた水饅頭と麦茶が二つ乗せられている。


「女中頭のおときさんが、里帰りのおみやげにくれたんです!一緒に食べませんか?」

「…………?」


楽しそうに己を誘う彼女に向かい、顎髭を撫でるような仕草をし首を傾げた。


「お祖父ちゃんですか?…暑いからって氷菓子の食べ過ぎで、虫歯が悪化しちゃったせいで暫くは糖分禁止なんですよ」


「止めたのに聞かないんだから」と、彼女は苦笑を浮かべた。

言葉を発さない自分が伝えたい事柄を、勘が良いのか彼女は的確に捉えてくれる。
勿論、的外れな言葉が返ってくる事もあるが、彼女と居る時間は不思議と負担を感じなかった。

ゆっくりとその場に腰を下ろし、「食べましょう?」と見上げる彼女に促されるまま、静かに隣に腰掛けた。

差し出された水饅頭を受け取り、彼女が自分の分を小さく切って口に入れるのを見届けてから手を付ける。
冷たい葛の食感と程よい甘さが口内に広がった。


「美味しいですね、小太郎さん」

「………」


こくりと頷き同意を示すと、彼女は満足気に笑って麦茶を手に取った。

少しずつ熱気を孕み始めた風が、鮮やかな緑を揺らしながら柔らかく吹き抜ける。
耳に届くのは、遠くから響く蝉の声と穏やかな彼女の呼吸だけ。

今が本当に戦乱の世であるのか疑わしくなる程に、安寧とした空気が流れる中、静かに空を見上げていた彼女がポツリと言葉を零した。


「……ずっとこんな風に、のんびり出来たらいいのになぁ…」


どこか遠い未来を眺めるように、軽く伏せられた瞳が空を映す。
穏やかながら、憂いを帯びた横顔が、酷く儚く見えた。


「小太郎さん…?」

「…………ッ、」


ふと、気が付けば彼女の髪に触れるかのように腕が動いていた。

無意識の中で動いた己の体に、内心驚きと混乱が入り交じり、素早く腕を引く。

しかし、微かに指先に触れたしなやかな髪の感触と、真っ直ぐ向けられた彼女の透き通る相貌に、今度ははっきりとした意識を持って腕を伸ばした。


「………ッ!」


そっと首筋に触れ、項を掠めるようにゆっくりと髪を梳く。
サラサラと、指先を擦り抜ける漆黒の感触を楽しむように、何度も繰り返した。


「こ、小太郎さん…あの、」

「…………」


行動の意図が読めないのか、困惑に染まる瞳でこちらを見上げる彼女の頬は、仄かに桜色の熱を讃えている。

自然と己の口角が弛んでいくのを感じながら、平和に支配された世界と言うのも悪くないかも知れないと、胸中で一人呟いた。





(あの…ッ、心臓壊れそうなんですが……ッ!!)
(…………)

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